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叔母さんの話。

皆さま、いつも他愛もないお話を読んで下さり、本当に感謝します。
今回は私の中で特に思い出に残っている叔母さんのお話を書いてみたいと思います。

 母の弟の嫁さんで正確には伯父嫁さんですが語呂が悪いので叔母さんと呼んでました。 当時、車で約20分くらいの所に住んでいて、遊びに行くと、いつも笑いながら「挨拶はいいから早く家に上がりなさい」そして、釣りが趣味の叔父さんが釣ってきた魚を食べきれない程の料理に変身させ、満腹を堪能させてくれた場所でもありました。

そんな優しい叔母さんですが、いつもオナラをブッこいていた叔母さんでもありました。

有る時はバフっ! 有る時はぶー! 全て豪快でした。
記憶の中ではすかしっぺは無かった。
ブッこいた時は「ごめーん!」と必ず言ってたので、すかしっぺは無かったんだろうと思っています(笑

世の中にこれだけ豪快にぶっ放した後に一言で簡潔にリセットされる事象に未だに出会った事がありません。

ところが、悩みのタネが一つ。

夜になると隣の部屋に布団を敷いてくれて「ゆっくり寝なさいね」と言ってくれる優しい叔母さんでした。 夜中におしっこがしたくなり、トイレに行こうとしたら、その叔母さんと叔父さんの寝室を通らないと行けないのでした。 起こさないようにそーっと通り抜けようとすると必ず見つかり、「おしっこかー?」と言って、電気を点けてくれるのです。

そして、いつも、パジャマではなくて、スケパンにスケスケのネグリジェを着ているのです。

所謂、超グラマーなアメコミのヒロインのような人で、ボン!きゅっ、ボン!な人でルパン三世に出てくる峰不二子のような華奢なものではなくて、まんま、『グラマー』を地で表したような人でした。そして、栗色の頭髪は大きなウエーブがゴージャスにかかり、マジもんの姿形(笑。

 朝になると頭にでっかい竹輪のようなカールを何個もくっ付けたまま「朝ごはん、食べなさいね」と。

そんな妖艶な叔母さんは勿論叔父さんにベタ惚れしていて、何かあればチューして、屁をぶっ放す。 いつもこんな具合で、従兄弟たちは、「いっつもこんな感じやねん」「友達呼ばれへんねん」「兄ちゃん助けて〜」と、相談されるのでしたが、いつも顔を見合わせて爆笑していました。

十数年後にその従兄弟の女の子が結婚することが決まり、式に呼ばれたものの、丁度海外に出る事になっていたので、お祝いを持って行った時に玄関先で「〇〇ちゃんがこんな事が出来るようになったんやー」と、盛大に泣かれ貰い泣き(笑 本当に裏表が無い叔母さんでした。

 私の母が亡くなり、その後叔父さんは会社を勤め上げ、家族全員で故郷島根の隠岐島に移住したと風の噂で知りました。
また、上の兄である叔父さん家族も自衛隊退官後、出雲にあった家を払って同じように隠岐島へ帰ったと知りました。
命が尽きるまでには一度隠岐島へ行ってみよう思っていますが、なかなかその機会が出来ずに今に至っています。

豪快な叔母さんの話でした。

お読み下さり感謝します。 ありがとう。

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