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関西人としての古墳の捉え方。


あくまで私の考える古墳についての考察です。

500年 今から約1500年前
「仁徳はん亡くなりはってんてー」「ほー大変やなぁー」「偉い人亡くなりはりましたなぁー」
 役人 「墓作るデー」
焼物屋 「忙し忙し」「壺と人形焼くでー」
 弟子 「わかりましたー親方ー」
 役人 「周りに水も張っとけやー」

仁徳天皇陵の完成。

それからある日偉い人が死にました。
「飛鳥のとこに石でも積んどけやー」「へーい」「石だけやと寂しいなぁ」「絵でも書いとけやー」
出来たのが高松塚古墳w (軽いw 超ライトウエイト!)
こんな知識レベルしか持ち合わせていません。

794年 泣くよ鶯平安京が出来ました。
またある日偉い人が死にました。
「墓作る?」「そうだな作るか」「土を盛っとけばいいんじゃね?」
そうやって小さい古墳ができました。
ある日、また偉い人が死にました。
「また土盛って墓作っとけやー」「親方わかりましたー」
そして少しだけ偉い人が死んだ時に
「どーする?」「まぁ、作っとこうか」
と、ボコボコ出来上がるのでした。
広大な墓地の完成です。

「儲かりまっか」
「ボチボチですわ〜」(墓地墓地ですわ〜)
ここから来たのかな、、w

ある日、ある偉い人が死んだ時に、
「また、墓作っといてやー親方」
「もう作るとこおまへんデー」「これ以上、土盛ったら田んぼ無くなるでー」「しゃーないなぁー」ということで

710年 なんと大きな平城京ということで場所移転

これが古墳の正体じゃね?
何かあればとにかく「土盛っとけばなんとかなるんじゃね!」ってのが関西人が思う古墳のイメージでした(笑

これが本当だったなら歴史の授業は面白くてたまらないだろうなと思う今日この頃。

、、絶対違うんだろうけどね(笑

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