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不動産営業マン時代の話。

皆さまこんにちわ。お元気でしょうか。いつもお読みいただきありがとうございます。

 辿り着いたところが不動産屋さん。まぁ、予想通りで何だか色々と絵を背中に描いてる人が出入りをしているようなところで、社長も何やらカラフルな絵を描いてあるような人でした。そんな時代背景だとご了承下さいませ。

この会社で良いも悪いもかなりのことを教えてもらい覚えていくのでした。
例えるならば漫画のナニワ金融道みたいなもので一般のお客さんやプロ相手、行政対応まで叩き込まれた感じです。そして来る日も来る日も間取り図面を描きまくり、切り貼りをして広告を仕上げ、JARO(広告機構)対策して、必死にやっていた。そして、来ちゃいました。

伝説の不動産バブル到来。

その1ヶ月で全部の借金返済してしまいました。涙が出るくらい嬉しくホッとした記憶があります。
その後はほぼ毎日至る所で浴びるようなアルコール接待。高級クラブで高級ウイスキーはじめ、ありとあらゆる高級なものを全員に数本キープとか普通でした。人生の中でもう飲みたくないと感じたこともありました。
一晩で数百万という乱痴気騒ぎが普通で、ありとあらゆるものを食べさせてもらい、次に走るのがギャンブルです。本物の花札出てくるやつです。今はもうないかも知れませんね。そして連れられて行かれた博打中に西成暴動起きました。ギリのところで車を破壊されることなく帰ってきたこともありました。

後はゴルフ接待。まぁ、ゴルフ好きな人の多いこと。
グループの中にはヘリ所有している社長も居たのでそれでゴルフ場に直接行く、今では絶対不可能なことが普通に行われていました。また、本格クルーザも走らせてわざわざそれでゴルフ行く、、変な世界で変な時代でした。
金融機関の人間やら反社の人や正体不明な人が入り乱れていた頃、

バブル崩壊。

顔を知っている人のほとんどが消えました。宴のあとのなんちゃらみたいなシーンとした寂しさでした。倒産と同時にまたもや失業です。

 次にやりたかった事はもう頭の中にあったので迷わず宝石業界でした。
当時日本全体で年間2兆円産業で、自分では石油掘れないし、コンテナを船で運べないし、金融なんて学歴ないから飛び込めません。
それから考えて考え抜き、嫁の叔父さんと組んで始めることにしました。
その頃、嫁をもらってました。
そして大使館の紹介で通訳とバイヤー、代理店を紹介してもらい、仕入れに現地に飛ぶことになるわけです。

かなり端折って書いていることはご了承ください。そのくらいヤバい時代でした。本当に書けないこと多すぎです。
たまに知り合いと飲んだ時、この時の話をすることあるけど、「あくまでフィクションね」と言いながら話すと、かなり驚かれます。(笑

この続きはまた違う章で書いていきたいと思います。お楽しみに。

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