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◆宇露戦争と琉球国併合

主に現支配国の皆さんこんにちは!

今日5月15日は、1972年に沖縄が米国信託統治から日本施政下に復帰した日です。

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1945年の日本敗戦から米国の統治を受けていました。
民政は非公選の琉球主席をトップとした琉球政府が行っていましたが、外交や軍事、主な立法は米国が主導権を握っていました。
約27年の間に沖縄はかなりの復興を遂げ、米国の投資は県民が考えている以上に大きかったと思います。

日本本土復帰1972年の100年前に、沖縄で何が起きたか?

1872年2月12日、明治政府は一方的に『琉球藩』を設置しました。
当時はまだ道府県制はなく、明治維新直後ということもあり、地方の大きな行政単位は「藩」でした。
琉球國はもはや「国」ではなく、日本の一地方自治体の「藩」に組み込まれたわけです。
これには長年の渡って薩摩藩が裏支配を続けていた素地がありました。

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1609年の薩摩侵攻で、琉球國は大陸王朝と江戸幕府への二重朝貢を行っていました。
表向きは独立国家として存在させ、裏で密輸や租税などで儲けていたわけです。
約250年にわたって利益を得続けてきたわけですが、1867年の明治維新以降日本の開国に伴う国家増強、清王朝の内乱による不安定化など、琉球周辺の事情が大きく変わってきました。

そんな矢先の1871年に宮古島住民が遭難して台灣に流れ着き、現地で惨殺される事件が起きました。
ときの日本政府はこれを口実に琉球國の日本帰属を速やかに進めました。
ちなみに、琉球は表向きには日本の帰属だったことは一度もなく、1429年の琉球統一以降は独立国として存在していました(中国への朝貢は行っていた)。
琉球処分」と呼ばれる一連の事件は1872年の琉球藩設置から始まり、1879年の琉球王廃止と沖縄県設置までの期間を言います。

ここで、明治政府が琉球併合に挙げていた理由口実を並べてみます。

・宮古島民遭難殺害事件(台灣)
・琉球はもともと薩摩に属していた
・帰属を正しくするために日本に編入する
・琉球併合は「祖国の単一制度」を可能にする
・清国は琉球の主権を主張したが、内政問題として突っぱねた
・琉球不安定化を避けるため、国王を廃止し東京に幽閉した

どこかで見たこと読んだことがありませんか?

・ドネツク州などで露系住民が殺害された
・クリミアやドネツク州等はもともと口シアに所属
・帰属を正しくするために独立共和国を宣言する
・各州の独立を承認することは口シアの統一に繋がる
・世界各国は反撥したが、口シアは内政問題として突っぱねた
(未達成)
・不安定化を避けるため、ウクラ イナ大統領を殺害したい
・最終的にはウクラ イナを併合したい
・NATOや米国の弱体化を図りたい

今、口シアがしていることを明治政府は琉球國に行ったわけです。

ミサイルや戦車、銃を使って併合を図ったわけではありませんが、1つの国家を潰して併合したのは口シアがしようとしていることと同じです。
ウクラ イナ問題で口シアを非難している人たちは「琉球処分」という事件をどのように考えるのでしょうか。
現在も琉球國は「沖縄県」という名前で呼ばれて併合されたままです。
宇露戦争で口シアを非難する首相や日本政府その他をみていると、自分たちがしたことは棚に上げてよう言えるなと思うわけですよ。

「琉球処分なんて150年も前のことじゃん?」

時効的な意見や「沖縄もメリットあるでしょ?」的な現在結果論で語る人もいらっしゃることでしょう。
それがまかり通るなら、口シアに併合されたクリミアやこれから併合するであろうウクラ イナ東部地域についても、数年後には「もう口シアのもので良いでしょ」となるわけですよね。
結局は力で現状をねじ曲げて押し通した者勝ち!ということになります。

その論理なら、いずれは台灣も・・・・・、ということです。

沖縄の近代史を振り返ると、
・1429年 琉球統一、中山国成立(琉球國)
・1609年 薩摩侵攻
・1872年 琉球藩設置
・1879年 琉球國王制廃止、沖縄県設置
・1945年 沖縄戦(住民60万人のうち10万人犠牲)
・1972年 日本復帰
・2022年 今年、本土復帰50年

こうやって見ていくと、「日本本土復帰50周年」って誰のためのお祝いなんだろう?と思うわけです。

ここまで書いていうのも何ですが、正憲は「沖縄独立派」でもなく「日本統治反対派」でもありません。
現状の「日本国民」として生きていることに不満はありません。
ただ、宇露戦争という出来事があり、日本政府や日本国内が熱狂していることに違和感を感じただけです(もちろん、口シアが行っていることには断固反対します)。

沖縄と日本本土の確執のようなことがテレビや新聞雑誌などで報道されるとき「太平洋戦争や沖縄戦が原因」であるかのような内容が多いのですが、もともとを辿ると、日本ではない別の国家であった『琉球國』を強制併合し、言うなれば異民族であった『琉球人』を真っ当な「一日本国民」として扱ってこなかったことが積年の遺恨になっていると思うのです。
沖縄戦や米国信託統治を巡る一連の出来事は決定打になったに過ぎません。
今は「沖縄県民」と呼ばれていますが、魂のどこかに「琉球人」としての誇りと意地が脈々と息づいていると思います。
150年経とうが300年経とうと、大きく変わることはないと思います。

兎にも角にも、今日は日本本土復帰から50年の日です

(参考)琉球処分 - Wikipedia
(参考)1879年3月27日 「沖縄県」の設置
(参考)琉球処分と大戦その後

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