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▼神域への拝礼

2月の中旬になってしまいましたが、令和3年初投稿ですので、新年おめでとうございます。
今年も宜しくお願い申し上げます。
今年は定期的にアップするぞ!という昨年末の決意は、脆くも崩れ去りました。
どうして書く時間がないのだろう・・・・・。

さて、昨年中旬から溜めていたネタです。

「~してはいけない」というタイトルは一見インパクトはありますが、発言が強すぎますね。
「美人過ぎる市議」とかいうタイトルと同じようなものです。
写真見て、別に普通じゃん🥱と返って評価を下げてしまうようなもの。
最近のキャッチコピーは質が低いなと思ってしまいます。

それはさておき、「二礼二拍手一礼」は実行してみるとおかしいですね。
島田さんもおっしゃるように『祈る』場面がありません。
苦肉の策で「二拍手のあとに・・・・・」と言われたりしますが、「二礼二拍手祈念一礼」とすべき流れですよ。
神社本庁の掲げる作法では神社に行く意味がないのです。

国家安寧や皇室弥栄を願いに行く人はおそらくほんの一握りで、大方の人たちは「自分のお願い事」をしに行くわけですよ。

作法と民心の乖離です。

上の記事は「二礼二拍手一礼してはいけない」の反論記事です。
現職の神主さんが書いていらっしゃるものですが、反論する根拠が薄い感じがしました。
100-0論や重箱の隅論に近く、まぁ、二つの記事ともそうなのかぁという感じ。
「~してはいけない」は確かに乱暴すぎる論調ですが、反論はもう少し頑張ってほしかった。

二礼二拍手一礼が明治中頃に定型化し、それ以降にそれが広められたことを考えると、作法ですからと言われるには歴史が浅いですね。
それは神道の歴史の長さと比較してです。
江戸時代以前に、全国でまったく同じ拝礼方法を統一して実施させることは到底不可能であったと思われますので、地域毎、宗派ごとに様々な拝礼方法があったと思います。
「どうやって拝礼するのですか?」に対して、「二礼二拍手一礼という方法がありますよ」なら良いですが、「二礼二拍手一礼が作法だからこうしないさい」は横暴ですね。
神仏を畏れ敬い心から祈りを捧げるなら、形にこだわる必要はないように思います。

沖縄にも神社や寺院はありますが、歴史的には1600年代以降に入ってきたものになります。
それ以前もそれ以降も民間信仰である『御嶽信仰』が中心でした。
民間信仰と書きましたが、祭政一致の支配体制を敷いた琉球王朝の祭祀も『御嶽信仰』が根幹にあります。
神社や寺院が琉球に入ってくるにあたり、『御嶽信仰』との融合がとても重要であったと考えられます。
神道は成功しましたが、仏教はやや失敗だったようです。

自然信仰である御嶽信仰と自然や万物を神にする神道は融合しやすかったようです。
一方で偶像崇拝である仏教は琉球人には馴染みがなかったようです。
ただし、仏教の信仰から独立するように『観音信仰』が民間信仰として溶け込みました。
『御嶽信仰』とともに重要視される『干支信仰』に代表されるものです。

御嶽を神社として変化させて生き延びた琉球古神道ですが、明治期に大きく形が変わったようです。
御嶽と神社の拝礼の違いを書いてみます。

○ 線香を用いる(ヒラウコー)
○ 正座する(立ったままで祈らない)
○ 二礼二拍手一礼しない
○ 手を合わせた際に擦り手する
○ 神主などがいない
○ 経典がない
○ 原則として建物がない

宗教の成立要素がないので、あくまでも「信仰」なのですよ。
『観音信仰』についても当時の琉球に観音像が普及していた可能性は低いので、「干支の神様」という概念で非偶像崇拝として普及したと考えられます。
こうやってみますと、琉球王朝時代から民衆は自由な形で様々なものを信仰の対象にしていたことが分かります。
祈り方もそれぞれであった可能性が高いです。

新型コロ ナのために旅行にも行けない日々ですが、自由に移動できる時期が来ましたら、様々な拝所を巡ってみたいと思います。

要は、心から祈念するということですよ。

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