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「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」

“Spider-Man : Far From Home”

「アベンジャーズ:エンドゲーム」の次作であり、Marvel Cinematic Universe Phase3の最後に位置付けられる本作。壮絶な闘いから8ヶ月後の地球ではどうやら平穏を取り戻しつつあるらしい(少なくともアメリカとヨーロッパは)

親愛なる隣人であるスパイダーマンは僕らに宇宙規模のビッグスケールな闘いいではなく、あくまでも内面的でプライベートなストーリーをぼくら観客に観せる。スパイダーマンとしてのテーマはそれでよいのだ。あくまでも彼は少年である。ヒーロー活動と私生活の狭間に悩みながら成長していく様はサム・ライミ版三部作やマーク・ウェブ版のアメイジング二部作にも共通している。

MCUと合流した本シリーズが前2シリーズと大きく違うのは彼が他にヒーローがいることを認知しているということだ。すなわちスパイダーマンがいなくても、他のヒーローがいるという言い訳を彼に与えてしまった。「シビルウォー/キャプテン・アメリカ」「スパイダーマン:ホームカミング」ではヒーローデビューしたばかりの彼は活躍の場を求めていたのでそのような視点は省かれていたが、実際に今作ではキャプテン・マーベルやソー、ドクター・ストレンジの名前を挙げ、ニックの誘いを断り、前作とは真逆にヒーロー活動に積極的ではない。この一種の無責任さ(世界は若きアベンジャーに縋るように期待の目を向けている)はある波乱を産むことに繋がっている。世界はピーターに「大いなる力には大いなる責任が伴う」という無言の言葉を捧げている。ベン叔父さんが不在である本シリーズにおいてもなお、この言葉はスパイダーマンという作品の根幹にあるということを改めて認識する。

本作はピーターたちのヨーロッパ旅行がメインである。スパイダーマンといえばNYの摩天楼をウェブスイングで駆け巡る爽快感が映画としてウリだったが、本作では最後に少しだけ描かれるのみだ。スタジオが画的な新しさを求めたから、と言ってしまえば終わりかもしれないが、スパイダーマンらしさをあえて外すのはとてもリスキーな選択をしていることは間違いない。だがしかし、映画を観れば、それは決して杞憂であったことが解る(個人的には最後のNYでのウェブスイングをみるとやはりこれはこれで楽しい)スパイダーマンらしいアクションは無くなっていない。ピーター・ティングル(コミックではスパイダー・センスだが独自のネーミングがされている)を駆使して敵を追い詰めるシーンは屈指の名シーンだと思う。

ミステリオについても最高の描かれ方をしている。コミックでも有名なスパイダーマンのヴィランであるが、本作では別次元からきたヒーローだ。物語中盤のバーでのシーンはミステリオ演じるジェイク・ギレンホールの狂人めいた演技が鬼気迫るものとなっている。コミックファンならトレーラーをみた時点でほぼほぼわかっていたある点が、ここのワンカットのようなシーンは相まって見事な満足度を誇っている。また指パッチン後の世界が求める彼のヒーロー像に当てはまる(当てはめている)エンドゲーム後のキャラクターとしても魅力的だ。

本作は、あえてスパイダーマンとしての王道を外すことで、スパイダーマンの本質を魅せ、新しいスパイダーマン像をつくることに成功している。

また明確なネタバレは避けるが、ポストクレジットシーンにスパイダーマンには欠かせないあるキャラクターを彼が演じている。最大のサプライズと言えるだろう。筆者はおもわず変な声が出た。

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