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2023年公開映画でよかったもの


瞬きをする間に過ぎてしまった12月。2023年は100本ならず、78本でしたが、よかった映画を振り返りたいと思います。

The Banshees of Inisherin / Martin McDonagh

本国公開は2022年の映画ですがこれだけはどうしても外せなかったです。私はどうもこういう悪趣味映画が好きらしい。
アイルランドの孤島で長年友人関係にあったパードリック(コリン・ファレル)とコルム(ブレンダン・グリーソン)。全員が顔見知りのこの小さな島で、ある日突然二人の友情は終わりを告げる。一方的なコルムからの絶縁によって。「これ以上自分に関わるなら指を切り落とす」という、とんでもない宣言をされるんだけど、まさに血湧き肉躍るメンヘラの祭典でした。(正確には血と指が・・・なんですけど)
本映画から私が得た教訓は、「人間関係を終わらせる時はきれいに!」これに尽きる。それは友人関係であろうと、親子関係であろうと、恋人関係だろうと。あなたの周りにもいませんか?どうしようもなく恋愛関係にだらしがないのに、不思議と元パートナー達から恨まれていない天賦の才能を持ち合わせた人誑しが。まあコルムは真逆を行くわけだけど。島民全員が知り合いのような、街にパブも一箇所しかない限界集落においてGhostingなんか無理なわけよ。毎日顔合わせちゃうから。それでも絶縁だ、と騒ぎ立てたくなるほどにコルムはパードリックの軽薄さに辟易としてしまったのかな。文字通り存在の耐えられない軽さだったのかしら。
その昔「文化的な生活がしたいんだ」といって4年くらい付き合った男に振られたことを思い出してしまいました。今となっては年に映画の一本も観ないような貴殿の一体どこに文化的な生活の素養があったのだ、と言い返したくなるものですが。要は恐ろしいほど退屈で毎日が同じことの繰り返しの小さな島に於いて、コルムが求めた変化のきっかけが、パードリックとのコンフォートゾーンを抜け出すということだったのかな。世の中には縁切り神社なるものも存在するくらい、一度交わってしまった縁を切るというのは労力を要するものよね。
コリン・ファレルの下がり眉が本作では遺憾なく発揮されていました。

Oppenheimer / Christopher Nolan

原爆の父ロバート・オッペンハイマーが、原爆を生み出すまでと赤狩りの後年との時間軸が錯綜する圧巻のビジュアル。この人は本当に時間軸を歪める描写が好きだなと思います。共感覚の人の視線で核分裂を見るとこんな感じなのかしら?と思わされるトリッピーな描写と波紋のメタファーが美しくも薄ら寒い。あと登場人物が多すぎるので史実を予習していても、追いつくのがしんどかった。
科学やテクノロジーの進化に対する欲求に抗えない個人が、世界を滅ぼしかねない世界に生きてるよね、私たち。核分裂によって世界が吹き飛ぶ確率がゼロでないにも関わらず実験しちゃうところとか、ホラー映画かよ、って。こういう世界を変えてしまう「ヤバいもの」を作ってしまう人ってどの時代にも存在するわけで、私が日々呑気に映画や音楽を楽しんで生活している今この瞬間にも、「ヤバいもの」は生み出されてしまっているのかも?(ちょっと陰謀論っぽいかしら)
さて本編はロバート・ダウニー・Jr扮するルイス・ストロースとオッペンハイマーの確執、というか一方的なルイス・ストロースのオッペンハイマーへの劣等感が炸裂した結果赤狩りに…という描かれ方がなされている。一都市を丸まる消し炭にする兵器を生み出すような男も、人の嫉妬によって栄誉ある地位から引きずり降ろされてしまうというのは皮肉よね。まあそんなルイス・ストロースからの嫉妬も、オッペンハイマーの人としての幼稚さ、未熟さが招いた結果とえるような描写となっていました。広島と長崎に起きてしまった結果を見るシーンで、オッペンハイマーから惨状から目を背けるシーンにもそれは表れていたのではないでしょうか。
一貫してオッペンハイマーという人間を追いかけた映画のように私は受け取ったのですが、それでも国内配給がここまで遅れたのは、アメリカの日本に対する扱いがあまりに軽く非人道的だったからなのか。この映画を観て文句を言う権利だって、私たちには平等に与えれるべきなんじゃないかな。

Killers of the Flower Moon / Martin Scorsese

悪いデニロー(ロバート・デ・ニーロの私の中での愛称です)と超ダメ男のディカプー(レオナルド・ディカプリオの以下同文)。
いろんなダメ男を演じてきたディカプーだけど今回はぶっちぎり優勝でした。もう本当にダメ!
保留地から石油が発見され、オセージ族は巨額の富を手にすることに。しかし、先住民族は「世間知らず」なので、白人が「監督」する必要があり、先住民族を「保護」するための法が整備されてしまった。結果、白人入植者たちが保護と称して彼らの富をいいように奪い、利用。後見人制度と、婚姻関係による受益権の相続によって、殺人にまで発展してしまう…というのがこのお話。
事件の中心にいるのがデニロー演じるヘイル。表はオセージ族に優しい顔する好々爺なんだけど、その実、親類操ってオセージ族を次々殺す正真正銘サイコパス。そんなデニローに操られ、全く自分自身を持たないダメ男がディカプー演じるアーネスト。中でもそんな悲劇の一族の娘、モリーを演じたリリー・グラッドストーンの演技が輝いていました。
お恥ずかしながらアメリカ先住民族についての知識といえば「Wind River(2017)」くらいなものなので、全く知らずに観に行ったので結構思っていたのと違って面食らった映画でした。出てくる白人全員よくもまあこんなサイコパスムーブが次から次へとできるもんだなと、ドン引き間違いなし。
「お前は碇シンジか!」とツッコミを入れたくなるディカプリオのダメっぷりを尻目に、それを知りながらもモリーほど聡明で芯のある女性が、なぜこいつと別れられないのよ…と頭を抱えてしまうんだけど、毒盛られて軟禁状態じゃ別れるに別れられないよな、と。誰かに経済的にも精神的にも依存する生き方は絶対したくないわー、とまたもお一人様街道を歩む私らしい感想が漏れてしまうのだった。

Knock at the Cabin / M. Night Shyamalan

悪趣味シャラマンの真骨頂。私は好きでした、ものすごく。
Guardians of the GalaxyのかわいいDave Bautistaに見慣れてしまっていたせいか、知的で硬派な役柄にきゅんとしました。
あるゲイカップルと養子の娘が休暇で山小屋に宿泊していたところ、世界が終わるといって4人の男女が訪ねてくる。普通になにかのイタズラかと思うし、私も映画が終わるまでこれはギャグなの?本当なの?どっち?どういうオチ?と頭の中クエスチョンマークだらけで観ていたのですが、常識を覆される未曾有のウイルス禍を経て、こういうこともありえちゃうのか…と一瞬納得させられそうに。って、さすがにありえないんだけど。
某国のバイブル・ベルトあたりのとても過激な思想を信仰されている方々が(no offence)事件として起こしてしまってもおかしくなさそうな話だなーと半笑いで観ていましたが、そういうところも含めてとても悪趣味な映画だなと思いました。
4人の招かれざる客たちは、世界の終末から救われるためには、家族のうちの誰か一人が犠牲になることだ、と告げてくるんだけど、選ばれた家族がゲイカップルというのも超悪趣味。生き残ったところで繁殖できないっていう。
ゾンビ物にしろ、何にしろこういったapocalypse系の映画ってあんまり共感できないのが、登場人物たちへの生への執着心。そりゃ執着心ないと話が進まないんですけどね。私はサバイバル能力皆無に近いので一番に死んじゃうタイプだと思います。
ちなみにAmazon Primeで配信中。

Familia / Rodrigo García

経営難のオリーブ農園の主と、その家族が庭で食卓を囲みながら食事と会話するシーンをメインに構成されているロドリゴ・ガルシアの新作。
複雑な家族模様を描くのが本当に上手い。三人の娘たちがみんなそれぞれ魅力的で、未婚の母となり同性のパートナーと帰省した末娘のマリアナの我が道を行くスタイルには拍手を送りたくなった。頑なに子どもの父親について口を割らないマリアナに対して二人の姉が問い詰めたところ、その父親はなんと、自分たちの父親のライバルの男性(61歳)ということが発覚する。「何してるのよ!」と問い詰められたマリアナの返答が最高だ。
「したいことをしてる!悪い?私の人生は私のものでしょ」
自分の人生なんだから好きに生きる、という考え方に共感できるようになったのは二十代半ばを過ぎた頃からだったように思います。私は親の無責任さに対してものすごく憤りと絶望を抱えた結果こじらせにこじらせまくっていた十代を送ったので。でもある日ふと気づくのよね、親には親の人生があるし、子どもの人生だってその子自身のもので、誰にも支配もコントロールできないんだってこと。ロドリゴ・ガルシアといえば「Mother and Child(愛する人)」が名作ですが、それも最初に観た時はなんて無責任な親たちの映画だ吐き気がする、と酷評を呪詛のように吐いて観終えたものですが、三十代近くなって見返すと、前述のことに気づかせてくれたいい映画だと気づきました。
このFamiliaも、見るときが違えばきっと、なんて狭隘な人たちの集まりなんだ!と憤りに近い感想を持っていたことでしょう。これを見て、基本的には身勝手な個人が寄り集まって家族を形成している美しさと愛おしさに思いを馳せられて、少し成長したような気持ちになりました。
Netflixで配信中。

PERFECT DAYS / Wim Wenders

渋谷のトイレ清掃員として働く平山(役所広司)の、静かで淡々とした日常を描くパターソン系映画。年末には渋谷で大規模キャンペーンが展開中されていましたね。役所広司が素晴らしい演技をみせていた。
毎日同じことの繰り返しのように見えても、見る人の目には毎日が違った特別で幸せな時間なんだろう。人生の豊かさとは何か?一つは他人と比較しないことなのかもしれない。私は煩悩に支配された俗物なので、この役所広司演じる平山氏の領域に達するのは死ぬまで厳しい気がするけれど…ある意味超ミニマリスト的な生き方なのかな。人との関わりも最小限、木々の写真を撮り、古本を読んで決まった時間に眠り、朝早く仕事にでかける。年末年始にインフルエンザっぽいものに罹患して4日病床に伏しながら、普通の繰り返しの毎日こそが人間を陶冶するのかもしれない、とこの映画を思い出していました。

Napoleon / Ridley Scott

伝記映画はあまり好まないのですが、ド変態二人の恋愛映画として楽しめました。ホアキン演じるナポレオンと、その妻ジョセフィーヌのプレイが凄いのなんの。「You’re nothing without me, say it」は名言です。私も言ってみたい。(感想それだけかよ)

怪物 / 是枝裕和

うーん、田中裕子さんが怪演すぎて夢に出てきそうでした。
よくある子ども同士の喧嘩に見えたものが、それぞれの主張が食い違い、大事件へと発展。
それぞれの登場人物の視線で「事件」を追いかけていくんだけど、同じ事象に対しても、見る人によって捉え方が変わることを描写していて、物事を中立的な目線でジャッジするなんて不可能じゃん?と思わされる映画だった。怪物だーれだ、という問いかけが観ている全員を襲う。
昨今のキャンセルカルチャーに対して中指立てているように感じてなりませんでした。

Saltburn / Emerald Fennell

年末にとんでもない作品配信してくれたな〜〜〜ということで、2023年映画納めはバリー・コーガン主演のサスペンスコメディ(コメディ、とあえて言いたい)でした。オックスフォード大学に入学したものの、スクールカースト最下層に属するオリヴァー(バリー・コーガン)は、貴族の世界で暮らすイケメン、フェリックスとあることをきっかけに仲良くなり、彼の一族が所有する広大な屋敷ソルトバーンに招かれ特別な夏を過ごす…
バリー・コーガンのフィルモグラフィの中でも上位3位に入るはまり役。聖なる鹿殺し(The Killing of a Sacred Deer)もなかなかでしたが、とにもかくにも気持ちが悪い。イケメンでお金持ちで社交の華のフェリックスが大好きで、大嫌いで、こじらせまくり。何より言及が避けられないのは、墓とファックするシーンでしょう。「Counselor」のキャメロン・ディアスのカー・ファックシーンと並ぶ名シーンでした。墓って!
愛憎は表裏一体、というのを身を以て体感する映画だった。イケメンが活躍するK Dramaの華やかなRom Comとは180度違った、ぞっとする恋…恋、なのか?たった一人との出会いが人生を狂わす、ということなのでしょうか。私も誰かに恋焦がれて、ここまで気持ち悪くなってみたいものだよ。冗談だよ。捕まるよね。
彼の持っている独特の得体の知れない、不気味さが輝く名作でした。映像美もあいまって、とにかくキモくて耽美でホラーな一作。
ぜひお正月休みに観てみて欲しいですが、家族との団らん中に観ると空気凍ること間違いなしなのでおすすめしません。
Amazon Primeで配信中。

Barbie / Greta Gerwig

パートナー選びのトリトマス試験紙として話題となっていた映画ですが、実際カップルで観に行って別れた人多いそうですね。
ケンが現実世界から「家父長制」をバービーランドに逆輸入するというストーリーラインは笑えました。バービーの「付属物」としてしかアイデンティティを形成できていなかったケンにとっては現実世界の「家父長制」が素晴らしいものに映ったのでしょう。ジェンダーにとらわれなくても、一個人としてのアイデンティティを見いだせたらよかったのに。
リトマス試験紙の話題が出ましたが、私はこの映画怖くて一人で観に行ってしまいました。男女問わず、相手によっては喧嘩になってしまいそうな気がしたから。だけど今となっては自分のそんな行いを反省しています。そこで意見が食い違ったって、お互いどう思っているかを率直に伝えあって会話すればよかった話じゃない。「なるほどね、君はそう思うんだ。私はこう思うんだ。よーし、じゃあもうちょっとそこ話してみよー」って。パートナーのフェミニズムに対する理解力の乏しさを、人間関係の足切りにするんじゃなくって、対話するところから始めなきゃなんだよね。(とはいえ、ホモフォビアが発覚した人との対話を諦めて絶縁したことがあるので、私もイニシェリン島笑えないくらい人付き合い下手かもしれません)
誰もがジェンダーに囚われず、誰の付属物にもならず、自分自身として生きられる2024年になるといいな。

2023年はTV seriesと読書に可処分時間を費やしていたので、あんまり映画を観れていませんでした。
読書編も元気があれば備忘録に纏めようと思います。
2024年も素敵な映画ライフを!

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