シーサイド・ブルーベリーマフィン
前回のライブが終わって一週間経ったころ、どんくさい自分は、時間差で緊張が解けた。
やっと肩の力が抜けたと思いきや、やってみたかったあのネタを明日までに完成させなければ、ああ、あれをして、これもして、とアワアワしてしまい、全て放り投げて、23時半から深夜のお菓子作りを開始した。
お菓子作りという名の、大人の理科実験である!
今回はブルーベリーマフィンを焼いた。
以前記事にしたバナナケーキと、対をなして自分を癒してくれる存在だ。
そのわりに、自分は日常で自らマフィンを購入し食べることはほとんどない。
なんというか、マフィンというと小麦粉がギチギチになっているずっしりした食べ物というイメージが払拭できない。
じゃあ作るなという話だが、お菓子作り自体は食べることではなく、作ることが目的なので問題ない。
あと、このくらいドライな気持ちで作ったお菓子というのは、意外と欲がなく美味しいのだ。
なにごとも、欲を持ちすぎないものに魅力があると思っている。
これはあくまで自分の考え方だが、日常においても、表現においても、無欲であろうとする(実際どうかではなく、意識の問題)ことは、何より強靭な鎧になると思っており、無欲な態度のものや人ほど興味を持ってしまうのだ。
(意欲がないのはまた別なので、ややこしい)
今回は、そんなブルーベリーマフィンとの馴れ初めを書き残そうと思う。
ブルーベリーマフィンを作るようになった時期は、はっきり覚えている。
2020年の5月で、コロナウイルスが本格的に騒がれだし、初の緊急事態宣言が出された頃だ。
この直前まで個人的に人生の中でもかなり落ち込んでいた日々を送っていたのだが、やっと元気を取り戻して少し経ったかという時だった。
当時新しく働き始める予定だったお店はオープンが延期し、完全ニート状態だった。
なにもすることがなかった自分は、このままずっと家にいたらまた以前の自分に戻ってしまう気がして怖かったので、よく近所の海まで自転車を走らせていた。
そこにはだだっ広い芝生と海と堤防しか無いので、寝っ転がって一人で何時間もただただぼーっとしていた。
電線など視界を遮るものが一切ない、とてもお気に入りの場所だ。
鳥、たくさん飛んでるなあ。鳥・・・自由に羽ばたいているなあ。どこまでも飛んでいけそうだなあ。
・・・疲れそう・・・
・・・全然なりたくない・・・人間、万歳・・・
もう元気になった頃だったので人間として非常に満足していた。
せっかくこんなにリラックスできるのだから、明日はここでおにぎりでも食べようかな。
そんなことを思いながら帰宅し、SNSを眺めていると、ひとつ気になる投稿を見つけた。
それは都内にあるカフェによるもので、緊急事態宣言下で休業中なのでよければご自宅で、と初めてレシピを公開する投稿だった。
そこで紹介されたのが、ブルーベリーマフィンだった。
先にも言ったようにマフィンには興味が無かったのだが、その控えめな姿勢や、内に光る自信などからか、なぜか惹かれるものがあった。
これを作って、海で食べようかな。
そうと決まれば、材料を調達していざ、というところまできて気がついた。
バナナケーキに比べ、工程が複雑だ。
このレシピには、生地とは別でクランブルといって上にサクサクしたクッキーのようなものが載せられている。
それは全く別物として用意し、最後に流し込んだ生地の上に乗せるのだ。
楽しそう!!
バナナケーキはもう慣れており、30分あれば焼き終わりまでいけるので、ちょっとしたリフレッシュにちょうどいい。
少しばかり工程が増え、かつ煩雑すぎない、子どもの頃に一番やりたかった実験が全て詰まっているのがブルーベリーマフィンなのだ。
海で食べるのを楽しみに、さっそく作ってみることにした。
自分は昔からキッチンに立っているわりに、お世辞にも手際がいいとは言えない。
バナナケーキと違ってボウルは2つ以上必要だ。使う粉も2つ、お砂糖も2度登場する。
準備にもたもた、材料を計量するのにもたもた、焼くまでにもたもたと、きっと要領のいい人の倍以上は時間がかかったと思う。
だが、その工程一つを終えるたび、自分の力でやりきった達成感を得られて楽しかった。
ひとつのタスクを終えるごとに、緑色のチェックが埋まっていくような感覚だった。
生地を流し込み、上にクランブルをのせて、180℃に予熱したオーブンの扉を開いた。
ここまで来たらもう、うまくいきますようにと祈ることしかできない。
自分が準備したマフィン型に対して、ほんの少しだけ生地の量が多かった。
もう一つ作るには足りないが、捨てるにはもったいないと思い、別の器に入れて一緒にオーブンに運んだ。
10分ほど経っておそるおそるのぞきこむと、完全に型に対して生地がキャパオーバーを起こしており、マフィンの上のかさの部分が融合していた。
オレンジ色の明かりの中ですべてが一つになっているのを見たとき、なぜだかおもしろくなって笑ってしまった。
ごめんね、欲張りすぎたよね、もっと余裕を持って流し込まないといけなかったよね、と反省しながらも、初めて作ったマフィンたちの姿がたまらなく愛おしく感じた。
それでもオーブンからは甘いいい香りが漂いはじめ、やがてリビングに流れ込んできた。
30分きっかりに扉を開け、ミトンで天板を引いて取り出した。
別の器に入れたあまりの生地は見事に焦げていた。やはりお菓子はレシピ通りに焼かなくてはいけないと改めて学んだ。
名誉ある大失敗だ。
はたして肝心のマフィンはというと、お互いくっついてはいるが、クランブルたちはみごとにその場にとどまり、それがより海外のマフィンらしさをたたえていた。
一つ一つを切り離すように、慎重にナイフを入れた。
少し冷めてから網(ケーキクーラーというらしい)に並べた。
逆さまにして、かさの部分に隙間をつくってぽん、と底をたたくと、見事にころんとしたマフィンが飛び出てきた。
それらを一つ一つていねいに裏返し、並んだ6つのマフィンを眺めた。
かさの部分は切り分けたせいで角ばっているし、クランブルの量は場所によって差があり、少ない部分は生地が見えて焼きむらがある。
不格好だが、それでもしっかり自立しているマフィンたちはとてもかわいらしかった。
お風呂に入ってもなお、ほんのりシナモンが入ったマフィンの甘い香りが鼻をくすぐった。それがなんだか嬉しくて、そのまま眠った。
朝、お気に入りの2つをアルミホイルに包んで、インスタントコーヒーを水筒にいれて自転車を走らせた。
風が強かったが、草むらに腰を落とした。
マフィンの甘いにおい、コーヒーのにおい、潮のにおい、草のむせかえるにおい、いまそこにある香りすべてが混ざって、思わず深呼吸した。
とても気持ちがよかった。
テレビでは連日、感染者数が報告され、マスクの品切れや資源の買い占めが取り沙汰されていた。
画面でやり取りされる強い言葉たちが本当か嘘か、自分にはわからなかった。
毎日はずっと変わらず地続きのはずなのに、命の話が、いままでまるでちっとも大切じゃなかったみたいに、やたらおおまじめに語られた。
間違いなく、誰もが余裕を失っていたと思う。
それでも、いま自分が過ごしているこの時間は、昨日までと変わらない今日だし、新しいレシピも覚えた。
自分は、自分を認めたり、許せないままでいたが、今までもずっとおおまじめに生きてきたつもりだ。
遠くで船の汽笛が聞こえた。
マフィンを口いっぱいに頬張って、寝っ転がった。
クランブルはさくさくしていてシナモンの香りがほのかに広がった。ブルーベリーが甘酸っぱくて、生地は軽く、ぺろりとあっという間に平らげた。
ずっしりしてないマフィンもあるんだ。新しい発見だ。
もう、自分は自分を責めることはしないと決めたのだ。
自分はいつだって自分を大切に思っていたい。何かによって、誰かによってではなく、自分によって、自分を大切にしよう。
そんなことを一丁前に思ったりした。
ブルーベリーマフィンを作るたび、あの日々のことを思い出す。
お菓子それぞれに思い出がある。
いまではかなり上達したんじゃないだろうか。
次作るときは確実に、もっと良い自分になっている。
そのことに安心するから、何かを繰り返し作るのは楽しいのだ。
暑さが和らいだら、また海までマフィンを持って自転車を漕ごう。
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