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勉強をすること

「勉強だけできればそれでいいのか」という言葉を耳にすることはあると思う。あるいは、勉強が苦手だったらそう思ってしまうことがあると思う。

勉強ってなんなんだろうか。ここでは学校で学ぶようなことを勉強と呼ぶが、弱冠7歳から義務として週5日も学校に行かされ6時間以上も拘束されて、自分の将来の夢や興味があることを学びたいと思っても勉強ができなければ大学にも進めない。勉強ができるってそんなに大事か。勉強ってなんなんだ。

そんな疑問を抱えて大きな辛い受験を終え、興味のある学問について思う存分学ぶことができる今、私が気づいたことは勉強ってただの特技に過ぎないということだ。勉強ができるってそんなに偉いことじゃない。例えば楽器ができる、絵が描けると同じようなものだ。できる人もできない人もいる。

もし、義務教育が勉強じゃなくて楽器演奏だったら。勉強が得意だった人が得意とは限らない。むしろ勉強ができなかった人の方が得意かもしれない。ただ、勉強が義務教育だった。社会を生きる上で必要だった。それだけなのだ。そして、勉強が向いている得意な人はラッキーだったのだ。得意とやらなきゃいけないことが一致しただけなのだ。

私は「できないをできるとまでいかなくても”できなくはない”という状態にすること」「特技を増やすこと」は人間が豊かになるための良い手段である。と考える。

何故豊かになった方が良いのかと言った質問に関してはまた今度の機会にじっくりと書きたいが、豊かな方が見える世界が広いし楽しむ方法が増えると思う。知らなければ出来ないことに世界は溢れている。できることを増やすためには私たちは豊かになる必要がある。趣味をたくさん増やせという意味ではなく、絵を描くことだけでも良い。しかし、絵を描くことにもいろいろな人の作品を見て刺激を受けたり、新たな技法を知ることで新しい作品が作れるかもしれない。豊かになるとは可能性を広げることなのだ。

できないをできなくはないようにすること、特技を増やすことには大きなストレスがかかる。そのストレスは決して避けては通れない。しかしそのストレスを抜けた先にはバージョンアップしたレベルアップした豊かな私が待っている。

そして、勉強という分野を特技にすること。それは私を豊かにする1つの手段であり、たまたま義務であり身近であるというおまけがついてくるのだ。他の分野と違っておまけがついてくるというだけで、他の特技よりもできるから大切ということではない。だが他に学びたいことがあれば別だが、勉強は特技にして損はないと思う。

私は勉強ができるということは特技が1つあるということなのでいいことだと思うが、それだけで満足してしてしまうのはとてももったいないと思う。実は勉強だけが取り柄だと思っていたけれど他に得意なことがあるかもしれない。好きなことがあるかもしれない。勉強をもっともっと深めてできることを増やせるかもしれない。勉強だけができると断定しないでほしい。常に自分に可能性をみてほしい。

それと特技を増やすとは全く別の分野のことが得意になるということだけではなく、例えば勉強1つを深めることも特技を増やすと言える。昨日までは2次関数できなかったけど、今日できるようになった。そしたらあなたは2次関数という特技ができた。意外と特技は色んなところに転がっていて小さなモノだと思う。だから特技がないなんて言わないで欲しい。誰でもできるモノであってもできるなら特技になる。他の人ができなくて特別に自分だけができるから特技なのではない。自分ができるから特技なのだ。他人と比べないで欲しい。

世界はまだまだ知らないことで溢れている。時間は有限だ。ましてや、学ぶことに時間を1番割くことができる学生という期間は一瞬だ。ぜひ、特技を増やして欲しい。たくさんのモノに触れて欲しい。きっといつかその特技はあなたのことを助けてくれる。


4行まとめ

勉強ができるってたまたま義務教育なだけで偉くも何でもなくただ特技の1つなんだよねー。特技を増やすことは人間を豊かにすることだから、特技を増やした方がいいよねー。だから自分ができることを増やそう??まぁ勉強って自分を豊かにする1つの手段だし、身近だから特技にしてもいいなぁ〜

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