ジャングルブックを見ました

今日も朝から5キロ走った。精神の不調を吹き飛ばすには、無理をしてでも体を起こす。全員がそうではないと思う。わたしはそうやってがんばる、というだけ。

夜にジャングルブックをやっていた。地上波での映画の放送は、あぁちょうど劇場で観たかったんだよなと思いながら見られなかった映画の鑑賞にちょうど良い。

子役の圧倒的な演技力や、地平線の向こうまで描ききるジャングルの映像美や、動物さんのもふもふに癒されながら、楽しみながら、しかし最後までどうしても引っ掛かりが取れなくて。ここに書いたら供養になるかな。

わたしは想像力がないので、ヒトの文脈では機能する家族愛とか仲間とかそういう概念をヒトとヒト以外の動物の間にも適用して、笑ったり感心したり感動したりしている感が拭えなくて、本当につまらない人間だなぁと思った。動物たちの間にそういう感情や概念があるかどうかなんて分からないのに。例えば母親が子供に執着する感情や、例えば周囲から見て異質なものをなるべく同化させようとする気遣いや、例えばリーダーの死を悼む悲しみや、そういうものを実際に動物が持っているかどうかなんて全然分からないのに、自分の中に湧いたそういう感情を勝手に動物たちにも当てはめて、ここは悲しんでいるに違いないとか、ここは心苦しいに違いないとか、最後までそういう飲み込み方しかできなかった。せっかく様々な種類の動物同士の交流を描いた作品なのに。

そもそも、ヒトとヒト以外を区別するなら、ヒト以外の動物もそれぞれ区別するべきなのに、全然それができなかった。ヒトとオオカミと区別するなら、オオカミとクロヒョウも、クロヒョウとクマも、クマとサルも、等しく区別しなければいけないはずなのに、ついヒトとヒト以外で分けてしまう。もちろんそれぞれのキャラクターは厳密に書き分けられているのだけれど、どうしても種族としての差異ではなく、個々のキャラクターの性格の違いに収斂させてしまう。その上で、サル(正確にはギガントピテクス)が「人間になりたい」と歌うのを、ちょっと違和感を覚えながらもさらっと聞いてしまうのだ。火を使いたいんじゃなくて?ジャングルのなかで比較的無力だとされる人間になりたいの?なんで?どうして?I wan’na be like youだなんて。youってモーグリじゃなくてモーグリ始めとする人間ということなのだろうか。だって神殿に住む神様みたいなサルがモーグリみたいになりたいって歌う意味分からないじゃんね。人間になりたいのも同じくらい分からないけれど。

こんなことを思ってしまうのは、わたしが人間としての生にあまり価値を見いだせていないからかもしれない。この辺りの感情も、そのうち整理していきたい。

今日は随分とっ散らかってしまった。何が言いたいというのも特段ないのだけれど、ちょっとジャングルブックが引っかかりましたという、それだけの話。

終わり。

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