だめになってしまった

いよいよもうだめだ。

毎日書くことを目標にしていて、それはもちろん毎日何かが起こるようなドラマチックな人生はもちろん歩んでいなくて、それでも何とか続けていた日記は、あっさり更新できなくなってしまった。

精神的な不調を隠し隠し誤魔化し誤魔化し矯めつ眇めつしながら毎日を送ってきたけれど、まるで小さな良いことや少しの楽しみをさぞ人生の道の先に咲く大輪の向日葵のように言い聞かせて自分を鼓舞してきたけれど、ここに来て諸々が重なって、最後に駄目押しの体調不良がやって来て、いよいよ爆発してしまった。分かりやすく身体の調子を崩すだけでこんなにも駄目になるのかと、己の弱さを心から恥じる。今まで頑張ってきたのに。何でもないふりできていたのに。

きっかけは些細なことだった。時系列も覚えていない。会社の同僚から、気乗りしない食事会に誘われた。行くことも辛いけれど、断ることも同じくらいしんどくて、返事をしないままのらりくらりとしていたら、何度も何度も手を替え品を替え色んな人から返答の催促が来た(当然だ。準備だって諸々あるのだから。)。ささくれ1。原因は集まる人たちの中に少しだけ苦手な人がいるからで、ただそれは心の中でこっそり苦手意識を持っているだけの人で、しかもその苦手意識はここ数ヶ月間で急速に醸造されたものだったので、誰にも言っていなかった。誰にも言っていなかったのだけれど、年の近い仲の良い同僚との最近の雑談の中で少しだけその話になって、積もっていたものを少し出してしまった。その人のことが嫌いではなく、苦手でもなく、ただ特定のトピックについてまだ心の整理ができていないからあんまり話したくないんだけど、あの人とはそういう話になりがちだから、みたいな、そんな感じ。多分良くなかった。お互い悪くないけれど、でも貴女が我慢する話でもないよね、と言われてしまった。張り詰めていた気持ちが、少し緩んでしまったのだと思う。ささくれその2。その苦手なトピックについて、別の日、別の友人との会話の中にその端緒みたいなものが入ってしまった。激しく反応してしまったわたしに、そんなの気にしていたら誰も君と会話できなくなるよ、と言われて(正論だ)、だから嫌だとも何とも言っていない、ただわたしはわたしで辛いんだ、どうしたら良いのか分からないんだ、と言ってしまった。猛烈に後悔して、泣きながら寝た。ささくれその3。早朝からの仕事があって、少し寝不足だった。ささくれその4。

昨日の朝、起きた時から少しおかしいなと思った。腹痛とはもう20年以上の付き合いになるのだけれど、昨日のそれはいつもより格段に辛くて、どうしても外せない仕事でなければ休んでいるくらいの痛みだった。それでもその日はどうしても外せない仕事の日だったので、お手洗いで時間いっぱい苦しみながら出勤した。思えば前日の夜も少しお腹の調子は悪かった。でも翌朝早いからと自分に言い聞かせて布団に入ってしまった。起きた時そういえば布団が少しずれていた気がする。ちょうど半袖のパジャマを下ろした。お腹を冷やしてしまったのかもしれないと思った。

会社でコピーを取っていた時、今までにない腹痛がやって来た。これはいかんとお手洗いに走ろうとしたところで、目の前が真っ白になって、真っ直ぐ歩けなくなった。吐き気もするし、冷や汗で全身びちょびちょになった。それでも他人の目がある。何とかお手洗いまでたどり着いたけれど、間に合った安心感よりも、はじめての出来事への恐怖が先に立って、暗くて狭い個室から、広くて明るいコピー機の前に戻りたくなかった。もともと低血圧で立ちくらみはする。けれど貧血ではないし、腹痛との組み合わせも初めてだった。初めてというのは、大体怖い。愉快な体験でなければ、余計に怖い。

朝一のお仕事だけ終えて、近所の内科に行った。ちょうど消化器科の先生がいらっしゃって、お腹をぽんぽんとんとんと診ていただいた。目の前が真っ白になって歩けなくなって冷や汗がたくさん出たのが怖かったですと伝えると、それは痛みから来る迷走神経の反射だろうけれど、痛みの原因は分からないね、と優しい声で言われた。食中毒だったらどうしようしばらくずっと辛いわ、と漠然と思っていたので、そうじゃないと言われたことは素直に安心したけれど、痛みの原因が分からないのは相変わらず不安だなと思った。不安だけれどどうしようもないので、数日分の整腸剤をいただいて帰って来た。昔ビオフェルミンをラムネみたいに食べていた頃があって、そのときを少し思い出した。

崩れてきた、と自覚したのは多分この頃だ。家に帰ると、何もできなくなった。一分一秒が辛い。とにかく横になるか下を向いてしまう。食中毒じゃなくてもお腹は常時痛い。水分を摂るように言われたのでお茶を飲むようにしてみたけれど、飲み込む度に痛む。食欲もない。ないけれど、食べないと冷蔵庫の中身が痛んでしまうので、食事を作って食べる。そして痛くて横になる(横になったって痛いものは痛い。)。

そうして今日この時間まで過ごしているのだけれど、相変わらず食事会の返事はできていない。食事会自体は東京アラートの発動もあって流れてしまったけれど、それはそれとしてそのことに対して反応をしなければならない。社会人とは、大人とは、ひとつひとつ相手に伝わるよう努力しなければならないのか。本当に言いたいことは、誰にも言えずにいるのに。

食中毒になったら、毒が全部出るまでお腹が痛いと聞いた。食中毒じゃない毒は、いつになったらわたしのお腹の中から出て行ってくれるのだろう。薬局で薬剤師のお姉さんが出してくださった整腸剤は、何からわたしを守ってくれているのだろう。お薬を受け取る瞬間は、人の温もりに触れた気がして安心したような気もするのだけれど。もうその温もりも、白い錠剤に溶けてなくなってしまった。ような気がする。

変わらず一刻一刻が辛い。でも辛いのはわたしだけではないので、辛い辛いと言ってもいられない。明日は出勤しなければならない。出勤したら、同僚の前では、馬鹿なことを言って、笑って、笑わせて、お腹の痛みもないようなふりをして、整腸剤を食後のデザートみたいな顔をして口の中に放り込むのだ。体調なんて悪くない。心の調子は、もっと悪くない。同僚は友人でも家族でもない。甘えてはいけないのだ。もとより甘えられる友人も家族も、今は思い当たらないのだけれど。

終わり。

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