苦手の向き合い方

先日製作した手作りバースデーカードは、無事にお披露目されたらしい。喜んでいただけたと伺って、ほっと胸を撫で下ろしている。他の方々がLINEのメッセージを送るに留めている中、わたしだけお手紙(直筆)と自作バースデーカード(プレゼントが起き上がり中からメッセージが飛び出す)と、ほんの少しだけ気合いが入りすぎていたみたいだけれど、まぁよかろう。

義務教育の頃、図工や美術は得意ではなかったし好きではなかった。何がダメだったと言われると分からないけれど、とにかく創造性がなかったし、絵も上手く描けないし、「良きものを作りましょう」みたいなことが本当に苦手だった。高校では芸術科目は選択制だったので、美術は選ばなかった。

今も創造性がないことは変わらないけれど、あの頃から比べれば工作のようなものが随分好きになったと思う。例えば、寄せ書きの色紙。例えば、年賀状。例えば、アイドルを応援する際のメッセージ付きうちわ。例えば、メッセージカード。シールやマスキングテープやレース紙など、それらしく作るための材料をお金で入手できるようになったというのもあるし、創造性のなさを補うために画像検索でイメージを膨らませるということを覚えたのも大きいと思う。ゼロから何かを作ることはできないけれど、100と100と100を見ながらそれぞれの好きなところを組み合わせて、そこにちょっと相手のイメージを付け加えたり、言いたいことを書いたりすることはできる。何といっても、好きな人のために作るのは楽しいし、面白いとか素敵とか言ってもらいたいと思いながら作るのも、心が躍る(時として褒め言葉の強盗にもなるのでそれはそれで気をつけなければいけないのだけれど。)。

大人になってからの苦手との付き合い方というのは色々あって、わたしが一番取る方法は「わたしこれ苦手なので得意な人に任せますね、だってその方が効率的じゃないですか」というものなのだけれど、それはそれとして、この「工作苦手〜今は時と場合によっては好き」というのも、苦手と付き合うの一つの解なのかなと思っている。つまり、何かを作ろうと思う時、スタート地点に立ちながらゴールをイメージできないというのは結構致命的で、この創造性のなさというのは今もわたしの弱点であり続けているのだけれど、それでも何かを作りたいという気持ちが生まれる瞬間が幸いにもあって、さらに時代が変わって今はインターネットで他人の作ったものを自由に見られて、こんなものを作りたいというイメージを膨らませることが容易になった。そういう、やりたいという気持ちさえ起きれば自分の苦手を補う手段を見つけられるようになるというのも、大人になってから苦手と付き合うひとつの方法なのかな、と最近思う。真正面からぶつかるだけでない、回り込んで横道から相手の脇腹をくすぐるような、そういう柔軟さを許してもらえるようになったというか、ちょっとしたズルを覚えたというか。

個体としての成長期を終えて、わざわざ無理してまで苦手に向き合う必要はもうないのだけれど、「苦手意識を持っているけどでもやりたい」みたいなことに向き合える手段を手に入れられるのは、「大人」の良さなのかもしれない。許されないことが増える代わりに、許されることだって増えていく。こうやって人間は少しずつずるくなっていくし、少しずつ丸くなっていく。きっと。

今日は少し長くなってしまった。終わり。

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