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息子はわたしの鏡

自己否定をずっと続けてきたわたしにとって、子育ては自分というものをボロボロになるまで追い詰める苦行のように、つい最近まで感じていました。
我が子はかわいい。たしかにかわいい。
しかし「生きてくれているだけでいいのよ」と、無償の大きな愛で息子を受け入れられない自分がいました。結果、努力、場に相応しい言動、行動、すべての基準は「ちゃんとしなくちゃ」。
そして常に機嫌によってさまざまな形に変化する「ちゃんとする」基準で、自分自身も振り回され、常に私は親に相応しくない、親になってはいけない人間なんだと自分を責める気持ちが消えなかった。
やっと自分と向き合い、心のしくみをコツコツ学ぶ中でいろんな気づきがあり、長男がわたしの思い通りに動かなくても狂ったように否定しなくなったし、お前はなんでできないんだ、と求めるレベルを年齢以上のものに引き上げて責め続けることから、少しずつ脱出できつつあります。
やっと、わたしも自分が生きていていい、だめなわたしでもいいって、少しずつ認められるようになりました。
ここまでの心境の変化を綴ります。
きっと今
生きてるの辛いな
あいつ許せないな
子育てつらいな
この場所から逃げたいな
って感じてる方がたくさんいるはず。
私も数ヶ月前までそうだったから。

そんな方が読んでくださって、ふーん、変われるやつもいるんだーって面白がってもらえたら嬉しいです。

今回は第7回目。

1.標準にたどりつきたい

前回の記事に書いた通り、長男は生後17日での手術を経て、体重管理というミッションを背負った育児がスタートしました。
初めての育児だけでも大変なのに、利尿剤を飲ませながら増えすぎも増えなさすぎもダメと言われ、体重を常に意識する育児。体重計こそ買わなかったものの、訪問してくださる助産師さんや、通院先、保健所、至る所で体重をこまめに図り、母子手帳には書ききれない体重を書いたメモが今も挟まっています。
初めての冬、気管支炎になって小さな体でずっと咳をしている姿がまた辛かった。お薬が増えたことが辛くて、風邪をひかせてしまったと自分を責めたのを鮮明に覚えています。雪が積もった日にタクシーで小児科に行ったこともあったなぁ。
小児科で先生の奥様に「ママ大変だよね〜、一人でコーヒー飲んでいってもらいたいくらい」と優しい言葉をかけていただき、泣きそうになったことも。
その後はお薬でなんとか治り、同じ病院で出産したママさんと一緒に遊んだり、離乳食始めたり、だんだんと育児も慣れていきました。
生後8ヶ月で成長曲線のグラフに入った時は嬉しかった。標準、というご褒美。よく頑張ったよわたし。
離乳食はしっかり食べてくれて、1歳過ぎには歩き始め、いろんなものに興味を示し、順調に成長していく長男の育児、この頃は悩みながらも楽しかったように思い出します。

2.妊娠しながらの育児は親子共々我慢の毎日

長男が1歳3ヶ月、ちょこちょこと歩けるようになってきた頃に、次男を妊娠していることが分かりました。とてもびっくりしたけど、2学年差で子供がほしかったから、とても嬉しかったのを覚えています。
つわりもなく、順調な妊婦生活でしたが、だんだんはきじっとしていられない長男に対してのイライラが出てくるようになりました。
ホルモンバランスもあったと思うけど、ちゃんとお散歩させなきゃ、本を読んであげなきゃ、子育てにいいと言われることは全部やらなきゃ!という義務感のようなものに追われている状態。予定通りいかなければそんな自分にダメ出ししてしまう毎日でした。
妊娠中期で切迫早産になってしまい、一度入院、その後自宅での安静になりました。外に連れて行ってあげられない、立ったまま抱っこもダメ、ろくに相手してあげられない。たくさん親子共々我慢することがあって、それもこれも自分のせいだと思うからこそまたイライラがとまらなかった。長男にはどれだけ寂しい思いをさせていたんだろう。

2回目の妊娠中も、やはり食道アカラシアの影響で体重は増えず、むしろ妊娠前より痩せた?というくらいガリガリに。
わたしは痩せても次男はお腹の中でちゃんと育ってくれて、36週6日で2418gで無事産まれました。

わたしは長男を緊急帝王切開で出産したことに、ずっと罪悪感を感じていました。わたしのせいで彼からの自然なメッセージを待たずに急にお腹の中から出すことになってしまったこと。やり直しもできないし、彼の命を最優先にした結果ではあるのだけど、羊水過小になったのはわたしの体のせいだから…と、ずっとモヤモヤが消えなかった。
出産する大学病院は、偶然にもVBACにチャレンジさせてくれる病院でした。一度帝王切開を経験したお母さんが、次の妊娠で経膣分娩できたことをVBACと言います。
条件が細かいのですが無事クリアし、次男を無事経膣分娩することができました。
自然分娩も、そこに至るまでの安静期間も、早めに入院していたため長男を主人の実家に預けていることも苦しかった。でも、次男の生まれてくるタイミングを優先させてあげられたことはよかったと思っています。
しかしVBACはリスクがめちゃくちゃ高いです。気軽におススメできるものではない。だからチャレンジさせてくれない病院が多いんです。
でも、わたしの気持ちに最後まで寄り添ってくれた主人、ドクター、助産師さんに、心から感謝しています。
長男が心臓疾患があったから、生まれる前からわざわざ病室に足を運び「生まれたら心臓エコーするからね」と声をかけて下さった小児科の先生。
出産前後に不安定なわたしのためにカウンセリングに来てくださった教授の先生。
本当に手厚くケアしていただけて、恵まれた出産を経験させていただきました。
2回目の出産は一緒に退院することができ、そこから家族四人、昼間は三人の生活が始まったのでした。

3.ちゃんと、って何?

長男は今9歳。
弟が生まれたのが彼が1歳10ヶ月の時。いわゆるイヤイヤ期突入の頃に弟が生まれ、それからずっと長男は一人で歩かせて、わたしの指示で動いてもらう「おにいちゃん」を頑張らせてきました。いつも長男に、「ちゃんとして!」と言い続けていたなぁ。常に指示、もしくは否定の声かけばかりだった。
彼のこれまでを振り返ると、とっても優しいし、頑張り屋さんで、父親や母親の私たちを大好きでいてくれて、弟のことも大好き。好きなことがたくさんある好奇心旺盛な男の子です。
なのに、長男の中にわたしは勝手に自分の嫌な部分と同じものがある!と思い込み、特別に否定的に見ていました。勝手に性格が似ていると信じ切っていた。そしてそこを受け入れられなかった。

その根底にあるものは、長男の甲高い興奮した声がきっかけでした。
長男の声を聞いていると、自分の子供時代、大好きな居場所で遊んでいた時にうるさい!と怒られたことが未だに蘇るんです。
どうしても高くて大きな声が嫌で嫌で、それがエスカレートして長男の人格そのものを否定し続けることを繰り返す毎日でした。

長所と短所はコインの面裏みたいな関係だと思っています。
正義感が強く曲がったことが許せない(間違いをすぐ指摘する、言い方が強い)、声がとても大きい、興奮しやすい、好奇心が旺盛(集中力がなく次から次へと関心が移る)、損得勘定がとても強い、などなど。
それら全て、わたし自身が自分の嫌だと感じていた性格でもあり、長男は見事に全て持ち合わせている。
そんな彼を、わたしとは別の人格、ひとりの人間として切り離して見られていなかった。
わたしの子供だからわたしと同じ失敗はしてほしくないと思い、余計な口出し、チャレンジの阻止、ダメ出しの嵐を母であるわたしは彼に浴びせてきていました。
半分はわたしの遺伝子だけど、ありのままを受け入れてくれる優しい父親もいて、育っている環境も全く違うのに、とにかく長男をありのまま受け入れられなかったのです。
悪いところを散々指摘するだけして、彼の頑張り屋さんの部分はこんな恵まれた環境にいるんだからやって当たり前でしょ?もっと頑張りなよ、みたいな最低の無茶振りばかりしていたんです。

ちゃんとして!静かに!うるさいなぁー、興奮しないで!なんでこうなの?何万回言ったらできるようになるの!(特に挨拶)

攻撃が始まったら自分で自分を止めることができず、長男に対してだけとにかくイライラ。

たくさんお金かけてお習い事もやらせてあげてる、必死で時間を作って毎日公園連れて行って、ご飯ちゃんと作って、早寝早起きさせて…お母さんこんな頑張ってるのに、必死にあんたたちのために自分のこと後回しにして頑張ってるのに、なんでもっとちゃんとやってくれないの!という心の叫びでもありました。

もう支離滅裂でした。長男の今いる環境は親である私たちが望んで作っている。そこに感謝しろとか、頑張って当たり前とか、押し付けしかしてこなかった。
母がどんな貧乏な悲惨な育ちをしているかどうかは、彼の今頑張る頑張らないとは関係ないのに、わたしは切り離して考えられず、ひどい時は言葉で責めまくり、最後にはこんなお母さんいない方がいいよね!と消えたい願望が出てくる。いない方がマシだよね、だれか新しいお母さんが来てくれた方がいいよね、もうやだやだやだー!と発狂するわけです。
掃除洗濯料理だけはしてたけど(それがわたしの存在価値を見せられることのような気がしてサボれなかった)、常にガミガミ狂っていて、常に眉間に皺を寄せて笑うことなんてなかった気がする。
子供たちからは完全に家政婦扱いされていると何度思ったか。
でも、その家政婦扱いは、わたしが自分を家政婦だという前提で扱っていたから、わたしが望む世界が作り出されていただけなんだと、ようやく分かったのでした。

コロナ禍で学校が休校になり、24時間子供たちと一緒に過ごさなければならなくなった今年の春。
今まで、長男に対してイライラスイッチが入ると狂ったようになってしまうのは、幼稚園や学校がある間は見て見ないふりがどうにかできていました。離れて過ごす時間があり、長期休みになればお友達と遊んだりして気を紛らすことができた。
でも、ステイホームの期間は逃げ場がなかった。主人も在宅勤務で家にいてくれたから、わたしは長男に手を上げずに済んだだけで、でも言葉の虐待がどんどんエスカレートしていく自分がいることに恐怖を感じ、カウンセリングか精神科を受診しようと決めたのでした。
そんな時たまたま見た幼なじみのブログとnote。

https://note.com/yum0326/n/na39d0878c90e

この記事は3部作になってます。ぜひ最終章まで読んでくださいね。
これを読んでわたしも変わろうと決めました。わたしの過去の育った特殊な環境も全て知っている彼女にはさらけ出せると思えた。そして彼女が主宰するヒーリングノートクラブに入ったのでした。
4ヶ月、がっつりノートを使って自分の気持ちと向き合い、自分を知ることを続けました。
誤った前提(設定)、自分へのダメ出し(自己否定)に気付きました。
情けない、どうしようもない自分を認めることが本当に難しくて。難しくて。くだらないプライドとか、一人でなんとかしたいのに、なんともできない歯痒さとか惨めさとか。
でも、逃げずに向き合ってもうすぐで半年。
長男の声が、前よりも気にならなくなってきました。
わたしは家政婦じゃなくて、ひとりの女性として自分を扱えるようになりました。
お金がないからと必死で節約しか考えてこなかったけど、わたしが心地よく過ごすために気持ちよくお金を使えるようになってきました。
わたしの望みはたくさん叶っていることに気づけました。

子供がかわいいと思えなくたって、大丈夫。
みんなと同じことができなくても、大丈夫。
わたしなんていなくてもいいって思ってる人も、大丈夫。
あなたはあなたのままでいい。
それを本気で思えたら、変わります。

長い文章にお付き合い頂きありがとうございました。
わたしはこれからもnoteを書き続けようと思います。
わたしなりに学んだことを、まだほんの少しかもしれないけど、発信していきます。
自分と向き合う方法はとてもたくさんあって、合う合わないもあると思います。
お金がすごくかかる勉強もあれば、コツコツ自分一人で向き合っていくのが合う人もいる。
情報が溢れているこの時代。
何が自分に合うのかを模索されている方に、こんな方法があるんだよ〜ってコンシェルジュみたいなことができたら嬉しいなぁと思っています。

こんな変わった体験談からの気づきが誰かのお役に立てれば、それが私が私として生きている大切な理由になります。
読んでくださり本当にありがとうございます。

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