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「ボールを自由に操るとサッカーは愉しい!」それはサッカーを経験してきたコーチとしての言葉。間違ってはいない。けれどサッカーに出会ったばかりの子どもは、その言葉は響かない。コーチとゲームをする中で「ボールを自由に操る」コーチのマネをする。そこがコーチの言葉が響いて届いた時。
遊ぶからサッカーが巧くなるのではない。 遊びで体の使い方や相手との駆け引きなどを体験する。 その経験をサッカーに活かしプレーの質を上げていく事ができる。 遊びを通して学びを深められるコーチになりたい。 「遊びはふざけることと違う」 事をどのように理解してもらえるのかを突き詰める。
キッズ年代の子ども達はサッカーもバスケットも同じ、ボールを使って遊ぶだけ事でしかない。ルールは、みんなで楽しむ為の「お約束」だけ。最初はボールを思い通りに動かす事や狙った所に飛ばす事を楽しむ。ボールと遊ぶ事に夢中になって仲間と競う様になった時に各競技のルールをちょい足ししていく。
6年前のノートを見てると、時代が進んだと認識できた。あの時に学んだ最新の情報も時間と共に精査されて新しい応えが出てくる。 サッカーを学んだと満足して自信に満ち溢れていた10年前の自分。振返るとあれは過信だった。それから学び直して久しぶりに見た6年前のノート。 学びは終わらない。
走りたい、蹴りたい、トレーニングは子ども達から求めてくる事が理想。 けれどそのまま優先させてはダメな時もある。 大人が理解していても子ども達が理解していない事もある。 ダメな事が時間をかけても良いのか、そうでなく早急なのか、大人自身の中に解答を持ち子ども達に向かう必要がある。
失敗をして泣く子などに「本当の失敗は挑戦をしなくなった時だよ」と次の挑戦を促すようにしてる。 すぐに成功する子もしない子もいる。 成功は様々な要素が重なり生まれる事なので自分ではどうにもなならない。 だからこそ何度でも挑戦し続ける事を促す。それこそ絶対に今後のチカラとなる。
「自己肯定感」や「自尊心」など難しい言葉を耳にする機会が増えたけど、大人は言葉に振り回されすぎだと思う。 もっと肩のチカラを抜いて良い。 子どもの行動を観守って視えてきた状況に合わせた言葉で伝えれば良いだけ。 大人が意識するのは「子どもにどう伝えるか?」それが、とても難しい。
子ども達の遊びとサッカーを繋げるパズルを解く為に、日頃の遊びを観察している。 地域で流行りが違ったり同じ遊びでもネーミングやルールが変化するので面白い。 ルールの変化には、子ども達の工夫や駆け引きが詰め込まれているので、そこを拾ってサッカーに繋げると子ども達から戸惑いが消える。
「子どもは大人の小さな大人ではない」約10年前、小学生は11人制から8人制へ移行した。そこで見えた課題は「子ども」の括りが広い事。小学5・6年生は8人制がベストだが4年生以下には人数が多くて、コートが広すぎる。変化を入れた事で課題が見えた。固執せずに次の変化を入れる事が重要。
サッカーは瞬間の判断が必要不可欠。大人が子どもに「機会」と「時間」を渡すとそこで得た「知恵」や「知識」を基盤に「体験」をして「経験」を積上げさらに「知恵」や「知識」を積上げて連鎖する。「魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」の言葉にある「釣り方」が子どもの純粋なチカラに繋がる。
子ども達はプレーが言語化できると再現性が高くなる。 子ども達へプレーの言語化させようと最初から文章を求めるのは時期尚早。 大人は子ども達がプレーに合わせた単語を見つけられるようにコミュニケーションを深め一緒に探す事から始める。見つけた単語を繋げるサポートを重ねて文章にしていく。
「目標から逆算して物事を考える」逆算する事で道筋が拓ける。 ゲームの観戦中「良いプレー」を観ると「子ども達がこのプレーをできるようになる為には?」と悩み「良いプレーまでの逆算が始まる」 教え込むのではない「子ども達が良いプレーを見つけ出す」逆算シュミレーションが頭の中を駆け巡る。
目の前にいる子ども達を観てメニューを進めれば良いなと想い突き進んだ。 まだまだ進み足りない事は実感してる。 でも、この先は1人では進めない。 「早く行きたければ1人で行け。遠くへ行きたければみんなで行け。」 その言葉を聴いて、これからは遠くへ行くために切替えの時だと感じた。
リズムを変える事ができないとダラダラ時間だけが進む。 子ども達の表情や様子を観て思いっ切った時間配分や準備していたメニューを大幅に変更する勇気も必要になる。無理に引き伸ばす事で子ども達の「興味関心」は違う方向に向かう。そうなると子ども達と同じ方向に向かう事が最善の策になる。