90末~00年代中国ヲタク事情おつまみ⑤

やっと続けられる。マンガ・アニメ資訊雑誌の話しの番。

マンガ・アニメの資訊雑誌の「資訊」ーー資料と情報ーーは主に何を指しているかについてまず説明しよう。

資料はわかりやすいと思うが、今(当時)に至るまでのマンガやアニメの成り立ちと発展の歴史などの資料、創作者(漫画家・アニメーター・アニメ監督など)の本人及び創作物の資料、そういった作品本体だけではない「周り」の資料である。書面・ネット・(ビデオなどの)記憶媒体に記録されたものを元に執筆された陳述的な紹介のものもあったり、大きな雑誌編集部でなければ実現は難しいが実際に当事者へインタビューしたものだったりする。

では情報は何かと言うと、主に二種類がある。一つは「作品外」の情報、例えば単行本や円盤の発売日や売り上げの報道、イベントの開催予定や実際の開催場面の報道、など。そして二つ目、「外」があれば当然「内」がある。ずばり連載中・放送中新作の今月のあらすじである。前回も少し触れたが、中国において日本のマンガやアニメ作品に触れる主な手段は正式版と海賊版のふたつがあるが、ネットが普及してネット配信が主流となる以前は正式版は版権を取る周期も取ったあとの制作周期も長くて最新作品はなかなかリアルタイムで追えない、海賊版は作品や業界に詳しくなればなるほど抵抗感が増すしそもそも質もよろしくない。ならば「新作の最新展開を知りたい」と「海賊版に金だしたくない」をどう折衷するか。資訊雑誌のあらすじ紹介である。残念ながら法律関係に詳しくないので本当に大丈夫だったのかはちょっと自信持って言えないが、作品名明記・作者明記・作品そのものの掲載ではなく編集者が一度手をかけて内容を文章にまとめる、という手段を取っているので少なくとも読んでるファン目線からすれば海賊版に手を出すよりは心が軽いのである。

90年代後半から様々な資訊雑誌が発売されたが、私が購入していたのは広東方面に編集部を置く『漫友』『新視点』(この二つは同じ雑誌社が出している)と北京に編集部がある『新幹線』である。こういった雑誌の編集部はわりとマンガ・アニメの同好である読者に友好的で読者の訪問にも大歓迎で、実際私も北京住まいなので地元にある後者の編集部にお邪魔させて頂いたことがあるのだが、日本から仕入れたマンガ連載雑誌の数々が部屋の隅で天井に届くほど積み上げられているのを見て目を輝かせたものだ。日本では親しみやすいお値段で売っている週刊誌であっても、当時は国際取り寄せしようものなら結構のお値段になってしまうのだが、様々な作品のあらすじを書いたり紹介(おすすめ)エッセイを書いたりするために編集部で取り寄せていたらしい。

もちろん、数ある資訊雑誌はひとくち「資訊」といっても、読者獲得のためには個々の特色を作らなければ生き残れない。テレビで放送される吹き替えアニメを見たり、授業中にこっそりマンガを開いたりする人は多くても、その先の情報を求める「ファン」の数は限りがあるのだから。メインじゃないからサブカルチャーなわけで。そこで、今回は自分が買っていた雑誌を少し紹介しようと思う。

まず『漫友』。詳しい統計の数値は調べていないが、おそらくもっともマンガ・アニメファンの間で認識度が高かった雑誌ではないだろうか。1997年から刊行が始まり、当初は半月刊と言っても月刊と言ってもあながち間違ってはいない。具体的に言うと上旬にマンガ情報をメインとする『漫友・漫画100』が刊行され、下旬にはアニメ情報をメインとする『漫友・動画100』が刊行されているためである。なお数度のリニューアルがされた結果、2021年現在では『動画100』は中旬刊行に調整され、下旬は少女小説をメインに取り扱う『可愛100』が刊行されるようになったらしい。この棲み分けは徹底されており、例えば『漫画100』に長編の評論文章の(上)が掲載される場合、(下)は当月の下旬に発売される『動画100』に掲載されるのではなく、次月上旬の『漫画100』に掲載されるのである。逆もまた然り。

当初は『漫画100』『動画100』共に、毎期数ページにわたって、当月に連載・放送されたマンガ・アニメの最新話4話(月刊誌連載のものなら1話)のあらすじが掲載される。数ページでかなりの数の作品を紹介しなければならないので、一つの作品が占める割合は結構少ない。B6サイズの一ページに4作品くらいといえば想像しやすいだろう。基本的に起承転結を簡潔にまとめて終わりである。それゆえの補充かどうかは分からないが、編集者数人の該当話への評点も載っていたりする。当時の資訊雑誌はかなりの内容を占めるマンガ・アニメ批評・鑑賞の文章の半分かそれ以上が編集者たちによる執筆の上に、毎回固定コラムで編集者全員がそれぞれ読者のお手紙の返信やお悩み相談があったりするので、編集者の存在感がすごいし各自の好みや個性もわりと読者に把握されている。そのため、自分と似た感性の編集者が高評価を出す作品を優先的に見るというのも当時の読者が作品選びで迷っている時に取る手段だったりする。

そしてフライングして述べたように、マンガ・アニメの批評や鑑賞が掲載される。一見もはや資訊ではないのだが、ネットも未発達な当時では新しい作品に出会えるきっかけだったり、感想の共鳴を求める手段だったりするので当時のファンからすればやはり資訊の一つなのである。実際私は『漫友・動画100』の長編評論エッセイで『新機動戦記ガンダムW』に出会えた。こういった文章は上記のように過半数が編集者による執筆なのだが、では他はどこから来るのかというと読者の投稿である。編集者側から依頼することもあるが、依頼対象だってマンガ・アニメファンで雑誌読者なので広い括りでみれば読者投稿である。

以前の回で述べたように、マンガやアニメの正式版も次第とネット配信が主流になり、さらにほぼ日本本土での刊行・放送とほぼリアルタイムの配信が実現するようになったので、ネット配信が流行りだした当初から『漫友』は次第と内容を調節するようになっていた。今はどちらかというとイベントなどの情報に加えて中国オリジナル作品の掲載、という形になっている。『漫友』から飛び立った中国漫画家の数はかなりのものである。そしてマンガ・アニメ業界を中心としてみれば副産物かもしれないが、批評・評論を執筆下縁からか、文学の道に進んだ者もかなりいたりする。有名どころは小説家の「落落」さんだろうか。編集者としてはお手紙返信コラムでかなりお茶目な印象だったので、小説やエッセイではかなり繊細なのは実はちょっと驚いた。確か緑川ゆき先生の作品紹介を執筆なさっていたと覚えている。

そして『新視点』、『漫友』と同じところから出されているので文章パートの執筆者が(読者投稿・編集者執筆共に)かなり層がかぶっていたりするのだが、こちらはメインがマンガの連載作品のあらすじ紹介で文章の方が毎期一つ二つ添えるだけである。月2回刊行される半月刊で、各作品の二週間分の連載内容(月刊作品は月1回)がB6サイズの半ページか1ページ丸々使ってまとめられる。起承転結のみよりはかなり詳しく描写されたりする。『漫友』パートで述べたようにこの編集部の編集者さんたちは後に文学の道に進む人もいるくらいなのだから、あらすじといえど描写の上手さはかなりのものだったりする。もちろんメインと言ってもそれだけで雑誌が成り立つわけでもないので、上記のように毎期一つ二つ程度ではあるが文章も載っている。作品評論もあったりするが、キャラクター鑑賞の場合が多いように感じている。あらすじと文章の他にある固定コラムの影響かもしれない。その固定コラムというのは「星命館」という名前で、毎期一人のキャラクターを取り上げ、読者が投稿した好意を表す簡潔なコメントを掲載するものである。要するに、まだネットが未発達な時期に「こんなにも同じキャラを推している同士がいる」雰囲気を味わうにもってこいのコラムだったわけである。ネットが発達してからは、連載のあらすじや情報も、同好同士のつながりもネットの方が便利になり、もともとの姿の『新視点』の需要は低下していった。ついに改版をきっかけに、元はいちコラムしか占めていなかった少女向け占いをメインとした全くの別雑誌に生まれ変わることになった。

こちらの(占い雑誌として改版する前の)名物編集者というと、「伊謝尔倫的風」さんと「風息神涙」さんだろうか。前者は今は別雑誌の編集者の傍ら小説も執筆しているが、もう一つ有名なところはかなりの『銀河英雄伝説』及びヤン・ウェンリーファンであることだ。そもそもご本人のペンネームが「伊謝尔倫的風」=「イゼルローンの風」なほどである。そして後者の「風息神涙」さんは基本的に脚本家の仕事をしている。改版後オリジナル作品連載に力を入れた『漫友・漫画100』で連載された『星軌是天空的道路』(『星の軌跡は天空の道』)の脚本を担当したり、日本で有名な作品と言うと『羅小黒戦記 ぼくが選ぶ未来』の脚本も彼女が担当している。さらに『羅小黒戦記』はスタッフの名前をキャラに付けることが(ファンの中では)有名なのだが、ここまで言えばわかるだろうがフーシー(風息)の名前は彼女から取られている。ちなみにご本人のイメージキャラクターはフーシーのような(化け)猫ではなくアライグマだし、関わる作品でキャラクターにご自身の名前をつけられるのもフーシーが始めてじゃなかったりする。先輩には退魔材料で作ったシャーペンの芯を飛ばして除霊する道士の瀋風息くんがいたりする(ライトノベル連載誌『親小説』掲載)

最後に『新幹線』。月刊誌で、マンガ・アニメ両方取り扱う。あらすじが占める量はそう多くなく、また上記二つのように人気作を中心にできる限り多くの作品をカバーするのではなく、どちらかというとあまり知られていないが名作と呼んでふさわしい作品を丁寧に紹介してくれるようなものが多い。また、二次創作もカップリングなしのものであれば投稿を受け入れたり、同人ゲームの企画を紹介したりと、「読み物」としては一番繰り返しの読み応えがある雑誌だったと個人的には感じていた。他に、中国のオリジナル作品も一部掲載されていた。人気作品の一つだったのは小説作者「不動君」さんによる中国神話を背景とした小説(ライトノベル寄りの一面もあったかもしれない)『河図洛書』である。また、別冊で『新幹線小説』も刊行され、こちらでは一般的な小説創作はもちろん、主流のマンガ・アニメ雑誌別冊としては珍しくBL作品の投稿も受け入れていた。残念ながら、本誌・別冊共にすでに刊行停止となっている。

この『新幹線』の編集者もまた強者ぞろいだった。中でも編集長の馳騁さんは日本戦国時代の熱心なファンで、『新幹線』にも寄稿している赤軍さんと合同で日本戦国時代の入門書的なものを執筆したこともある。知識量もだが、書き綴る文章が非常に力強く読みやすい人だった。特に印象に残ったのが周年特別号に掲載された安彦良和先生の『ジャンヌ』の長編紹介で、知らぬ間にすっかり虜になってしまった。この文章がなければ、基本的にファンタジーものやスポーツものをメインに読んでいた私が史実を元にしたこの作品に興味を持つこともなかっただろう。

と、このように、資訊雑誌はそれなりのページ数を、日本のマンガ・アニメの紹介と仲介に宛てがっており、またそれがそもそも読者から求められていた役割だった。私が購読していた雑誌の他にも数え切れないほどの同類雑誌があったのだが、重点をおいていたジャンルに違いはあった(アニメ中心だとか、BL作品中心だとか)にせよ、あり方にそれほど大きな違いはなかった。バリエーションの多さ、数の多さはそのままその時代の読者の需要の多さを物語っていると言えるのかもしれない。

しかし、中国で雑誌を含む書籍を出版する事は簡単ではないのだ。そこに加えて、インターネットの普及と、ネット上の同好コミュニティの形成。形勢も厳しくなり、需要も大幅に下がるとなると、存続は難しくなり、やがて有名どころ以外は尽く時代の流れに埋もれることになった。

次はどうしよう。雑誌の話しをもう少し引き伸ばすか、あるいはネットの同好コミュニティの話しをするか。次書くときに決めよう。

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