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省察的「 on と in 」

■今夜の授業の振り返り「人間学総論」
・本大学院の目的
・人間学とは
・省察的実践家とは
・省察の「ONとIN」
・コロナ新時代を3名の視点で考える


メモ的に感想を綴っていきます。

❶改めて学ぶ面白さを感じた一方、語ったり行動したり実践で活かしたい。活かしてこその学び、社会に還元してこその学びと感じた。だからnoteでアウトプットしていこう。

❷省察的実践家に、僕はなりたい。ただその為に「省察とは何か?」をしっかり定義しなくてはならないし、反省/振り返りと比較する必要性があると感じた。またメタ認知との違いや、その先にあるメタ認知の中にあるセルフモニタリングとの比較もする必要性を感じる。まずは先行文献を読むしかないのかな。課題図書も多いし、トホホです。
 自分の研究への道が遠く、光がまだ見えないけど、一歩一歩ですね。ただヨガのTTCでの経験がとても活きているとも思う。それは「仲間と歩むことの力強さ」である。マントラの「サハナババトゥ」からも教えられているように、やはり僕には仲間の力に支えられているし、安定にも希望にもなっている。まだ大学院に通い始めて半月ちょっとだが、同じ大学院の同期の仲間や、同じ年から他大学院に通い始めた仲間の存在が大きい。一緒に何してるってことでもないけど、研究は1人でするものかもしれないけど、共に同じ方向を向いている仲間がいるのは心強い。こっそり感謝しよう。「ありがとうございます。とても支えられています」。

❸さてさて、ドナルド・ショーンが登場してきました。保育の場でも近年よく聞く「省察」という言葉。僕も仲間から良く聞きますし、学んできました。ドナルド・ショーンと言えば「省察」ですね。
 さて彼は「Reflection on action」(行為についての省察)と「Reflection in action」(行為の中での省察)を語っています。前者は「実践した後」、後者は「実践の中で」。つまり「実践し終わってから省察するか、実践中にするか」。それが「on と in」で違うようで、彼も言うように、特に「in」つまり「実践中の省察」が大切であると。
 ただここである疑問が。「どちらが良いとかではなく、どちらも特性があり、求めるものによって違うのではないか」と。つまり前者「on」は、実践後なので自分一人で振り返ることはもちろん、「誰かと振り返れる」。僕はこの「誰かと振り返れる」ってことが重要だと思う。つまり自分だけではない視点をもらえる。保育者であれば、同じクラスの担任、他クラスの同僚、先輩、もしくは後輩。はたまた実践報告をしたら他園や他業種の方からも学べる。
 一方、後者「in」は、やはり実践において、実践者において、とても効果的だと思う。しかし、実践中に自分の行為を認識し、そして適時、適当に実践を修正していくことはとても難しく一定の経験とスキルが必要になってくる。もちろん、それを地道に得るほかないのだが、これがなかなか難しいんですよね(自分にも言い聞かせる笑)。
 ただここで本授業で学びになったのが「だからこそ実践中の省察する力が自分にどれだけあるのかを認知し、育て、コントロール、もしくは活かせる術を得ることが大切である」ということ。現時点で研究テーマと上げておる「保育実践者のメタ認知と熟達化の関係」の研究意義を改めて感じました。まずはその為に「省察/反省/振り返り/メタ認知/セルフモニタリング」の定義を明確にしなきゃと強く感じました(上記について僕の理解も浅いので。誰かコメントでフォロー頂けると幸いです)

❹あと、本授業で「本大学院は省察的実践家を育てる」と明言されており、それに対して共感しかないが、一方、現在は大学院生としての省察的実践家としての側面もあるので、それも大切にしていきたいです。

❺最後のもう一点。今日の学び、もしくは問い。色んな授業を受ける中で「人間とは何か?」という問いに出会う。良い問いだと思う。しかし、川田学さんの「保育的発達論のはじまり」を読む中で「発達と保育、いや、保育と発達か」という問いがあり「保育は関係性の中のいとなみである」的なことを語られており、「人間とは何か」という問いは、なんだか「人間個人として何か」という問いのような気がしていて、むず痒く感じます。だから僕は「人間社会とは何か」を問うことで「人間とは何か」が見え、その先に子どもとは何か」「保育とは何か」そして「保育者とは何か」が見え、自分の歩む道が見えてくると思った。それこそまだ見えない光が差してくるのではないか。楽しみだなぁ〜

今日はこんなところで~
ではでは~



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