シェア
この記事はマガジンを購入した人だけが読めます
今年もあっという間に師走がやってきた。今年は特に色んなことがあったけれど、こんな世界になっていなかったとしても、きっと同じことを言ってるんだろうな、と思う。 文章を書く時、書きだしの最初の一文でしっくりした試しがない。これは自分の未熟さもあると思うけれど、キーボードを打つ手のリズムを聞いてるとだんだん調子が出てくる気がする。だから最初の書き始めはなにか適当に打ち始めて、結果最後には消すことになる。 こういうのは色んな事に通じていると思っていて、何ごとも「やりはじめ」が一番
ここ最近、いつものように色んなものが燃え上がっていて、対岸の火事ではないけれど、自分もいつだってその渦中の中心人物になりえる可能性はある。もしくは明日は我が身。という言葉が浮かぶ。 以前、パブリックアートという行政の案件で仕事をしたことがある。その時に感じた事、考えた事をやっとこ言語化できた記事(2019年のもの)を改めて読んでみることにした。
少しずつリハビリ制作。 こうやってただ手を動かすこと、その行為そのものに救われるところはある。 進んでいないように見えて進んでいるんですよ。 今の私にはこのくらいのスピードがちょうど良い。 今日ふと、Instagramにも投稿してみたらこんなリプライが。 「私は関口さんの世界観、マインドがとても好きです。応援してます♪」 そうだった、私はこういう言葉に救われてもいたのだ。自分の作ったものとその先の人との関わり合い。 改めて気づかせていただいた。こちらでもありがとうと
作品制作する時、私は自分で撮影した写真をモチーフにして、その写真の中の色を自分なりに抽出し、イメージにあった糸を選ぶ。 私は単色の糸を「引き揃え」という技法を用いて織っていくんだけど、この混色法はスーラなどの点描画に通じるものがある。 色彩についてはまだまだ勉強中なのでなかなか安易には話せないなぁと思っているけどもう少し自信がついたら小出しにして行こうかな。(あくまで小出し) そして、その写真から抽出した色の糸を制作中は箱やらなにやらに並べて入れているんだけど、それを私