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102. グヤサマジャ

オウムに出合うまで、私は神秘体験をすることも印象的な夢をみることもなかった。霊的なことはいかさまと同じで、宗教は心の弱い人がするものだと思っていた。

そんな私がオウムで神秘体験をする。神秘体験は「霊的な体験」「クンダリニーの体験」「トランスパーソナルな体験」などとも言われている。外からうかがい知ることはできないが、体験する人に決定的ではかりしれない影響を与えることがある。

「神秘体験がしたかった。ヨガをやっていてのめり込んだ。真理を求めるためだったのに、事件にかかわってしまった」

こう語った井上嘉浩氏は、短い言葉でそれを伝えたかったのかもしれない。

神秘体験をさせる力――「クンダリニー」とも「神」ともいえるエネルギーは、オウム全体に浸透して満ちあふれていた。弟子や信徒はそれを「グルのエネルギー」と言っていたが、私は麻原教祖個人の力だとは思わなかった。教祖はその力とともにあり、その力と私たちを結びつける「扉」のような中間の存在だったと思っている。

では、この「力」(エネルギー)とはいったいなんなのだろう? 

目に見えないこの力を、私はオウムの「グヤサマジャ」(1)という象徴でとらえている。オウム真理教のすべての道場の祭壇の中央には、グヤサマジャと呼ばれる宗教画が掲げられていた。事件後、教祖を失って、弟子のなかには麻原教祖の写真を祭壇に掲げる者もいたが、教祖は「グルを意識しなさい」と教えたことはあっても、自分の写真を道場の祭壇に掲げるよう指導したことはなかった。

グヤサマジャは、オウムのエネルギーの源泉である「シヴァ大神」の象徴だった。

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グヤサマジャは、シヴァ神とダキニ天女(パールヴァティー女神)の合一が描かれている宗教画だ。男神と女神の抱きあう姿は、男性エネルギー(陽)と女性エネルギー(陰)の神聖な合一(統合)をあらわしている。

男神・女神はそれぞれ三つの顔と六本の手(三面六臂)をもっていて、グヤサマジャという神は、全体では十二本の手と六つの顔という「十二」と「」で象徴されている。

ところで、教祖と教団、とりわけ地下鉄サリン事件には「十二」と「六」というパターンが数多くあらわれている。

十二人の死刑囚の弟子(六人の無期懲役刑の弟子)
十二人の地下鉄サリン事件で亡くなられた方々(判決文が書かれた段階で十二人。その後一人の方が亡くなり十三人)
麻原彰晃の十二人の国選弁護人(異例の多さ)
麻原彰晃が起訴された罪状のうち殺人・致死にかかわるのは十二事件
麻原彰晃には十二人の子どもがいる(そのうち本妻の子どもは六人)
十二棟あったサティアン施設(麻原彰晃が最後にいたのは第六サティアン)
麻原彰晃の名前で宗教活動をした期間は十二年間(一九八三年から一九九五年まで)
「オウム真理教」の名称が存続したのは十二年間(一九八七年から一九九九年まで)

このような偶然の一致は、もちろん偶然であって人が意図して引き起こしているわけではない。象徴言語を学んできた私は、「十二」と「六」が何をあらわすのかすぐにわかった。古代から「太陽と黄道十二宮」というイメージがあるように、人間の意識は「時間」というものを、中心の点(太陽)とその周囲の「十二」の点というイメージでとらえる。一年を十二か月、一日を二十四時間(12×2)に区分するのはそのためだ。

円を六本の線で等分してできる十二――これは「時間」なのだ。
そして、この大いなる時間を司る神は「マハーカーラ」と呼ばれている。これはシヴァ神の異名だ。

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オウム真理教は霊的な覚醒を強く求めた団体だった。そこで経験する「神秘体験」とはどのようなもので、どのような影響を与えるのか、私は自分の体験をできるだけ詳しく記録した。私の体験として書いてはいるが、「私の体験」という感覚はなく、体験が私を通じて現れるとでも言うのだろうか。表現が難しいが、なにかとてつもなく大きな力が、私たちを通して顕れていたように思う。

霊性、あるいはクンダリニーとよばれる力は、本来人間にそなわっている「内なる自然」ということもできる。神秘体験をすることは、この失われた自然と再びつながることなのだと思う。オウムで体験をした人はもちろん、かすかな体験をした人も、「いや、自分には体験がなかった…」という人も、そこにいるだけで、人を超えた力、いのちの源泉に触れているような歓び、光のようなものを感じていた。そして、この体験を自分のものだと思うようになったとき、人は自分自身を見失い、体験に呑み込まれ、ズタズタに引き裂かれてしまう。

それは大いなる自然と人間の関係と同じではないだろうか。

*****

私のオウムの物語はここで一旦終わります。
二〇一二年に書きはじめましたが、新しい世紀から十二年目のこの年は、逃走犯全員が出頭・逮捕され、裁判がはじまり、再びオウムに注目が集まったときでした。
私の生活も一変しました。老親の介護、そして死。
そのなかで、なにかに突き動かされるように書きはじめ、できあがったものは『ヌミノース』と題して元オウムの友人にのみ公開しました。その後、加筆、修正したものを『オウムとクンダリニー』(全102話)と改題して一般公開しました。

この記録が、オウム真理教とその事件を理解する一助になれば幸いです。


――オウム真理教事件によって犠牲となられたすべての方々に哀悼の意を捧げます。


(1)グヤサマジャはグヒャサマージャとも言われる。チベット密教のヤブユム・男女両尊。オウム真理教の祭壇のグヤサマジャを描いていた元マチク師によれば、「オウム神仙の会」が「オウム真理教」に変わる頃、教祖の指示でグヤサマジャを描きはじめたという。

※「オウムとクンダリニー」は「母たちの国へ」に続きます。

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