母たちの国へ05. 東日本大震災

二〇一一年三月十一日午後、自宅にいた私は突然激しい揺れに襲われた。とっさに頭を抱えてダイニングテーブルの下に隠れた。

「わぁぁ、これは大きい…」

今までに経験したことのない大きい揺れに恐怖で身体がこわばった。

つり下げ式の部屋の電気が空中で泳ぎ回っているみたいになったが、部屋にあるものが壊れたり家具が倒れることはなく、何度かの余震のあと揺れは次第におさまっていった。

すぐにテレビをつけると、NHKのアナウンサーが「震源は東北の太平洋沖で、マグニチュード7を超える大地震が発生しました」と繰り返していた。(地震の規模は幾度か訂正され、後になるほど大きくなり最終的にはマグニチュード9)

それからずっと、テレビの前で凄まじい地震の被害と、火災と、襲来する大津波の映像を観ていた。その後、明らかになってきた福島第一原子力発電所の事故では、メルトダウン(そのときはメルトダウンの事実は公表されなかった)、水蒸気爆発、放射能汚染など、テレビに出ずっぱりの原子力の専門家たちにも予測できない深刻な事態が続いていた。

自衛隊のヘリコプターが大きなバケツをつり下げて、瓦礫のなかの燃料プールに水を落水させている映像を観ながら、

「 プールに水が入っていないことは素人にもわかるし、そもそも、これって…意味あるの?」

隊員の命を危険にさらしてまでの茶番劇のようなパフォーマンスをテレビで観ていると、

「これは映画じゃないんだ…もしかしたら、このまま日本は終わってしまうんだろうか…?」

そんな漠然とした不安がよぎった。
これは遅れてきたハルマゲドン、世界の終わりなんだろうか?

どんなに大きな災害でも、終わってしまえば人はまたそこから立ち上がっていくものだ。しかし、この大震災はチェルノブイリ級ともいわれる重大な原発事故を引き起こしてしまった。クリーンで未来志向のエネルギーだといわれていた原子力、その美しい顔の裏側にある暗黒をまざまざと見せつけられた思いがした。

大地震と大津波による二万人に近い死、原発事故で住み慣れたふるさとを追われた数十万の避難者たち、未来にわたって抱えることになった放射能汚染の恐怖は、日本人の意識にはかり知れないインパクトを与えた。

大震災の年の暮れ、オウム事件直後から行方をくらませて指名手配されていた平田信さん(元ポーシャ師)が、突然出頭した。週刊誌の記事によれば、彼は震災の報道を見ながら、

「俺はいったいなにをしているんだろう…」

十六年にわたる潜伏生活を問い直す思いがわいてきたのだという。

その後、菊地直子さん、高橋克也さん(元スマンガラ師)も逮捕され、ずっと身を潜めてきたオウム事件の逃走犯全員が出てきた。東日本大震災は、海底深くのプレートのみならず、なにかをずるりと大きく動かしたみたいだった。


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