母たちの国へ09. メール交換

アングリマーラの説話にはいくつかのパターンがある。

一番シンプルなのは、盗賊・人殺しのアングリマーラがブッダと出会い出家し解脱するというもの。
ある経典では、バラモンの師から「100人殺せば修行は成就する」と言われたアングリマーラが、道で出会う人を99人殺して指を切り取り首輪にしていく。いよいよ最後の100人目にブッダと出会う。そして、出家し解脱するというもの。
また別の経典では、前半は同じだが、100人目に母親に出会い、アングリマーラは母親を殺すことができなかった。そしてブッダに出会い、出家し解脱するというもの。

要するに「殺人者でも解脱できる」という仏教説話なのだが、人殺しという極悪人、それも無差別にたくさんの人を殺した人間が解脱するなんて常識では納得できないから、おそらく後世になってから師の指示や母親というエピソードが加わっていったのだろう。

Tさんが朗読した「アングリマーラ」は母親が出てくるパターンだった。私は、100人目にブッダと出会う話として知っていたから、母親に対する情愛で揺れるアングリマーラの物語を聞いてしっくりこなかった。

「母親への情愛がわいてきて、アングリマーラが家に帰るならわかるけど、なぜその後ブッダと出会い、出家するの?」

というのが正直な感想だった。ブッダの弟子になって解脱するためには、まず親や子どもという身内に対する情愛から離れ、出家しなければならないのだから。

慰霊祭から帰ると、私は「アングリマーラ」の物語を聞いた感想を一気に書きあげた。少し迷ってから、オウムにいた人間であること、林泰男さんのことも知っているという自己紹介をつけ加えて、Tさんの公式ホームページのメールアドレスに送信した。生まれてこの方ファンレターも、クレームメールも送ったことがなかった私にしてみれば、かなり思い切った行動だった。

意外なことに、返事はすぐにきた。

慰霊祭の朗読を聞いた見ず知らずの読者の感想に対して、形式ばらずに誠実に答えてくれる中身の濃いメールだった。
私はすぐさま返事を書いた。こうして、作家であり林泰男さんの交流者でもあるTさんとメールのやり取りをするようになった。

Tさんは林泰男さんが元気でいる様子も伝えてくれた。私は、オウムのことや、仏教や修行についての話を普通の人とやり取りできることがうれしかった。元オウムの人は、同じ元オウムの人としかオウムの話をすることができない。オウムをやめて社会に戻ると、自分の経験をだれにも話すことはできないし、そもそも耳を傾けてくれるような人もいない。偏見なく、聞く耳を持ってくれるというのは、大きな救いだった。

そんなTさんでも最初に会ったときにはこう言った。

「世間は、あなたたちがまたサリンをまくのではないかと恐れているのよ」

私は「ええっ!」と驚いて言葉を失った。
私の様子を見たTさんは、「本当に事件のことはなにも知らなかったのねぇ…」と言った。

「そうか、世間は、私もテロを行なうと思っているんだ…」

Tさんの言葉を聞いて、改めて私たちがどう思われているのか再認識した。

大震災を境にして、私は事件について考えたことをまとめたり、オウムについて話すことのできる人があらわれたりした。そんな矢先のことだった――


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