母たちの国へ01. イニシエーション・ドリーム

夢分析をはじめると、最初にとても印象的な夢を見ることがあるという。「初回夢」とか「イニシエーション・ドリーム」と呼ばれるこの夢は、夢を見たクライエントの予後(分析の収束まで)を見通していることもあり、その人の人生の本質をあらわす重要な夢なのだそうだ。C.G.ユングによれば、幼い頃に何度も見た夢や、何十年たってもよく覚えているような夢も、見た人の人生全体を予見していることがあるという。

私がオウムに出会って最初に見た光り輝く双子のヴィジョンも、イニシエーション・ドリームの性質を持っていたのかもしれない。

あのヴィジョンを見たあとすぐに私はオウムに入ったが、今思えば、あの光り輝く双子の男の子と女の子は、オウムの祭壇の中央に掲げられていた宗教画「グヤサマジャ」(グヒヤサマージャ)と呼ばれる男女両尊(ヤブユム)が、まだ真理を知らない私の前に幼い姿となってあらわれて、「やっときたね」と迎えたような気もする。(内的なヴィジョンはどんなものでも自分自身を映し出す鏡のようなもので、たしかに私は成人ではあったが精神的には未熟だった)。

オウムの本尊であるグヤサマジャはシヴァ大神の象徴――陰と陽との合一、対立するものの統合、相対性・二元性の超越、すなわち空性という「真理」をあらわしている。オウムを脱会したあと、大量出血で緊急入院したとき、自分とはほど遠い女性だと思っていた同室のタニヤマさんが、寸分の違いもない私自身なのだという真実に瞬間的に打たれたことがあった。そのとき、相対性の向こう側を垣間見たような気がした。

オウムという現実の経験をくぐり抜けたとき、私は少し大人になることができたのかもしれない。

オウムを脱会してすぐに見た夢は、最初の双子のヴィジョンよりも圧倒的だった。湖の底から引き上げられる巨大な球体、その上部にロープに挟まれて一冊のノートがあった。表紙には「失われた少女の物語」という手書きの文字が書かれていた。その筆跡や黒いインクのかすれ具合いまでもが今も目に焼きついている。いったいこのヴィジョンはなんだろう?

記事を読んだ人からこの夢についてこんなことを言われた。

「トラックごと海に転落して、そこから引き上げられるシーンと重なりますね」

そう言われてみれば、私に大きなショックを与えたあの転落事故(私の転機でもあった)で、海中から救出されるイメージに似ているかもしれない。
もう一つ重なるイメージがあった。あの夢を見たあとで、私は子宮摘出手術を受けたのだが、湖から引き上げられる球体というのは、摘出される子宮のようでもあった。

深い湖の底から引き上げられる球体と、そこに十字架にかかるようにして挟まれていた一冊のノート。表紙に書かれていた「失われた少女の物語」という言葉は、いったい私になにを告げているのだろう。
夢の最後の場面を思い出しながら「あの球体はぶ厚い布のようなものに包まれていたけど…」と疑問に思った。ヴィジョンというものはおもしろいもので、意識を向けて問いかけると答えをくれることがある。

「帆布。非常に古い帆布だ」

はっきりとした言葉が返ってきた。

帆布について調べてみると、船舶に使われる帆やロープは昔から水に強い麻で作られているという。巨大な球体を幾重にも包んでいた帆布、球体にかかっていたロープの素材は「麻」だということになる。

双子のヴィジョンに導かれ、私はオウムに入り、オウムをくぐり抜けると、今度は「失われた少女の物語」というヴィジョンがあらわれた。どうやら私には行くべきところがまだあるようだった。

この夢は私をどこへ導いていくのだろうか? 

その問いに答えるかのように、ひとつの言葉が私の内側に力強く響いた。

「母たちの国へ。」



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