母たちの国へ28. グル

私の精神状態は少しずつ落ち着きを取り戻していった。年老いた父とのゆっくりと流れる時間のなかで、あまり人とのつき合いもなく過ごしていれば、日々それなりにやっていけた。「死にたい!」という衝撃はときどきやってきたが、それはもう遠くで鳴っている雷のようなもので、頭を抱えて耐える必要もなく、「あ、また来ているな…」とやり過ごすことができた。

あの大きな木製ハンマーの衝撃にも良いところがあった。あれほど叩かれ続けて、私のなにかが破壊されたのだろうか。眠っているとき、深い眠りのなかにものすごくクリアな意識があることに気がついた。それは恐ろしいほどのエネルギーの渦にも見えた。私の意識がそれに触れていた余韻のようなものをまとって目覚めてくることがある。おそらくそれによって、たとえば何か疑問に思っていることがあるときは、目が覚めると同時に「ああ、そうか!」とわかったりする。私はそれを「眠りの智慧」と呼んでいる。

ただ、ずっと私の心を覆っている「虚しさ」は相変わらずだった。生きていることそのものが「無意味である」という感覚。「なぜ、みんなはあんなに楽しそうなんだろう…」とても不思議だったし、うらやましくもあった。この虚無感にも実体はないのだと頭では理解していたが、ぽっかりと大きく開いた空虚に対して思考は無力だった。

2018年、麻原教祖と12人が処刑された。
事件から四半世紀。二十年以上会うこともなかった人たちの死刑が執行されたとき、その知らせはショックだったが悲しくはなかった。ほっとするような、いつもどこかで続いていた緊張から解き放たれたような気持ちもあった。とにかく、「これで終わったんだな…」と思った。13人は全員この世を去り、私はこの虚しさを抱えてまだ生きなければならない、ということなのだ。

ある日、ふと「こういうときグルがいたらなあ…」と思った。
「今、グルがいたら、この虚しさをどうしたらいいのでしょう、と聞くだろうな…」

かつてトラックごと海に落ちて、もう溺れて死ぬだろうと覚悟したときも、私は「グルに救いを求めるのは違う」と思ったくらいだから、今になってこんなことを思うのは自分でも意外だった。

私はオウムについてなにかを書くとき、記憶が曖昧だったり、教義について不明な点があれば、元出家者の知人に確かめるか、調べてわかることは膨大な説法データを検索して確認している。そのときもキーワードを入れて説法データを検索していた。検索結果を読んでいると、いくつか検索されてきたものの末尾の方に私の名前があったので、「あれ? なんだろう」と思った。

それは、私の質問に対する麻原教祖の回答だった。出家して一年も経っていなかったとき、もうこれ以上出家を続けられそうになかった私は、最後に成就の修行に入れてほしくて、「どうしたら修行に入れてもらえるでしょうか」と質問した。そのときの麻原教祖の回答は、まだホーリーネームのない私の名前からはじまっていた。

「Kさんの今の心の状態を見ていると、まだ内側にプラーナが充実している状態ではない。
個人的なちょっとアドバイスをさせてもらうけれどね。やっぱり少しあの、心の内側に寂しさというか、根本的な悲しみみたいなものを持っていると私は思うんだよ。で、それが結局、まあ、シッシャ入りを遅らせた原因だとも思うし、それからもう一つ、これからのあなたが、ラージャ・ヨーガ、クンダリニー・ヨーガ、マハームドラーと上がっていくための一つの障害でもあるんじゃないかと思うんだね。
だから、逆に大乗の心を持って、そして、その悲しみというか、根本的心の空虚さみたいなものをつぶすような『大乗の発願』だとか、あるいは『苦の詞章』だとか、あるいは『シッシャの心得』だとか、このようなものを徹底的になせば、成就は早められると私は思います。」

直弟子に対する説法のあとの質疑応答で、このような個人的なアドバイスがされることは珍しい。個人面談などで話されることはあるだろうが、そんなときに受けたアドバイスは筆記するか記憶するかしない。四半世紀経った今、こうして私へのアドバイスを正確に読めるのは、説法の後の質疑応答だったことでデータになっていたからだ。このときのことは、このブログにも書いている※。「心に寂しさがある」と言われて、涙が止まらなかったことはよく覚えていたが、30年も前に、今、私が苦しんでいる「根本的心の空虚さ」について指摘されていたということはまったく覚えていなかった。

そして、麻原教祖は「編集部の出家者全体に言えることだけど」として、「グルを意識することが少ないんじゃないかな」と控えめに指摘していた。

「尊師、ずいぶんと気を遣って、やんわりと遠回しに指摘しているなあ」

大乗の心を培って、グルを意識するということは、オウムの修行の基本中の基本なのだから、もっとバシッと言ってもいいところだ。いつオウムをやめようかと揺れてばかりいた私に、強く言えばつぶれてしまうから、このような言い方をしたのだろう。

あの頃、みんな法則を聴ける喜びにあふれていた。ぴんと張り詰めた空気、その静寂を破ってマントラが道場に響き渡り、ひと呼吸おいて、語りかけるように説法がはじまる――まるで昨日のことのように思い出される。

アドバイスをくれた人はもういない。でも、その言葉は今こうして私に届いている。

※マガジン『オウムとクンダリニー』「037. 行き詰まり」をご参照ください。


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