母たちの国へ08. アングリマーラ

【アングリマーラの物語】
美しく優秀な若者アヒンサは、解脱を求めて高名な師(グル)に弟子入りした。師の妻はアヒンサに恋慕し、師の留守にアヒンサを誘惑した。真面目なアヒンサはそれを拒んだ。すると妻は夫である師にアヒンサに誘惑されたと嘘をつく。
師はアヒンサに言った。
「通りで出会った人を順に殺して、その指を切り取り鬘(首飾り)を作り、100人(あるいは1000人ともいわれている)の指が集まったとき、お前の修行は成就するだろう」
こうしてアヒンサは、師の言葉どおり人びとを殺してその指を切り取っていった。人びとは彼をアングリマーラ(指鬘)といって恐れた。
そして100人目にブッダに出会ったアングリマーラは、ブッダを殺すことができずにブッダに帰依して出家し、後に解脱する。

慰霊祭がおこなわれるお寺は新宿にあった。
お寺の山門を入ってすぐに本堂の入り口が見え、その手前に小さな祠(ほこら)があった。詰めかけた大勢の参加者の列に連なって歩きながら、通りすがりに祠の中をちらっと見ると、祀ってあるのは黒い姿の大黒天(シヴァ神の別名)だった。
オウムの主宰神もシヴァ神だったので、私は「あれっ?」と思った。

「大黒天かぁ…ここシヴァ神が祀ってあるお寺なんだ、奇遇だなあ…」

会場の本堂に入ると並べられているパイプ椅子はほとんど満席で、私は後ろの方に一つだけ空いていた席に座った。すぐに慰霊祭の開始が告げられ、慰霊のための音楽やトークが進んでいった。Tさんの朗読はプログラムの最後だった。

本堂の明かりが消され、椅子に腰かけたTさんにスポットライトの光があたって朗読がはじまった。マリンバの生演奏が間に入って物語を盛り上げながら、Tさんは自作の「アングリマーラ」をドラマティックに朗読した。

オウムでも麻原教祖はよく仏典をひいて説法をしていたので、私はアングリマーラの説話はよく知っていた。Tさんが、どのようにアングリマーラの説話を解釈し表現するのか注意深く耳を傾けた。

朗読が終わって本堂の明かりが点いた。慰霊祭はこれで終わりだった。
私は「うーん」というため息をついて立ち上がった。

Tさんのアングリマーラの物語は私には納得いかなかった。Tさんに詰め寄って大いに文句を言って、議論をふっかけたいような気分だった。そんなことを思ったのは、たぶんTさんが地下鉄サリン事件の実行犯林泰男さんの支援者だったからだし、なにより「この人はオウムという宗教世界を描ける作家なんじゃないか」と私が勝手に期待を寄せていたからだろう。

「オウムにかかわっていて、常識的なアングリマーラの解釈は、ないんじゃないの…」

いいや、今考えると、このとき私はもっと怒りに近いものをTさんに向けていたのだと思う。

「これがアングリマーラ? ありえない。そもそも修行とか解脱ってことが、全然わかってない。そんな普通の解釈なんて認めないわ」という。


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