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処刑のあと(2018.08.17)

地下鉄サリン事件から23年目、13人の死刑が執行された。

国家というシステムによる大量処刑。13の命とひきかえにオウム真理教事件を終わらせたということなんだろう。絞首台に吊るされた弟子のなかには、村井さんの部署(科学技術省)にいたこと、私よりまじめで謙虚だったという以外、オウムでの立場は私とあまり変わらなかった人たちもいる。それを考えるととてもやりきれない。

大量処刑のショックと言い知れぬ重たさの奥底で、事件以来どこかにあった緊張がかすかにゆるむのを感じてもいる。

「これでやっと、オウム真理教は終わったんだ…」

そんな安堵のようなものなのかもしれない。
「終わってはいない」「終わらせてはいけない」などと言う人は、
「優秀な若者がなぜあんな教祖を信じたのか、どうにも理解できないままなんだ」
そう言いたいだけ。

とにかく、「これでオウム真理教は終わったんだ」と、私は思う。

オウム真理教の特徴は、千人を超える「出家修行者」が活動を支えていたこと。出家修行者とは禁欲修行者のことだ。私は出家修行者の目標だった「極厳修行」の実際を「048.クンダリニー・ヨーガ成就修行」から「053. 極厳修行とバルド」で詳細に書いた(マガジン「第三章 解脱の極厳修行」)。私たちが出家して、なにを求めていたのかを記録したつもりだ。

ただ、他の記事で「神秘体験」という表現をつかったことを少し後悔している。たとえば、オウム真理教をよく知っている江川紹子さんは、オウムの「神秘体験」にふれるとき、ばかばかしくて取るに足らないこと、という含みを持たせるためなのか少しあざ笑うような表情を浮かべることがある。
また、オウムでの体験はすべて薬物によるものだと印象づけようとする人もいる。(LSDを使った修行は教団末期に二度あった)

だから「神秘体験」ではなく、「宗教体験」あるいは単に「体験」と言った方がよかったのかもしれない。そうすると体験が持つ極めて特異な雰囲気は抜け落ちてしまうのだけれども。

宗教というものは、一人の人間の宗教体験からはじまる。体験した人は体験を否定することはできない。体験を核としてその後信条や教義が作られ宗教になっていく。

オウム真理教は、教祖・麻原彰晃の「解脱」体験からはじまり、その解脱知見に基づいて原始仏典の再解釈がなされオウムの教義として確立していった。麻原教祖がユニークだったのは、イニシエーション(特にシャクティーパット)によって自分の体験した解脱の状態を他人に垣間見させ・感じさせる力があったことだ。

シャクティーパットを受けてなにかを感じた人たち、特に若い人たちはすぐに社会的なものをかなぐり捨てて出家した。出家したあとは、自ら解脱体験を求めてわき目もふらずに修行(ワーク)に専念した。

解脱救済を求めた宗教団体、それがオウム真理教だったのだが、現代では本当の意味での宗教(宗教性)、出家や修行や解脱や救済という言葉が失われてしまっているから、悲しいことにそれをカルト集団、拉致・監禁、洗脳、マインドコントロールという乾いた言葉で呼ぶことしかできないんだろう。

オウムの「解脱」の中心的体験とされていたのは「呼吸が止まり、意識が光に没入する」こと、つまり、「死」と「光」の体験だった。それ以外の神秘的な体験は修行の途上の無意味なエピソードにすぎない。私がオウム真理教で信じたのも、教祖・麻原彰晃でも教義でもなく、本当のところは私自身の「体験」だった。

オウム真理教事件について「いったい、なにが彼らをそうさせたのか」と問われたら、私はこう答える。

「麻原教祖という存在、教義、宗教体験、いろいろな要素がからんでいる。弟子にとって麻原教祖という存在と宗教体験は切り分けられないという前提で、強いて言うなら、体験が彼らを後押ししたと思う。実際に処刑された12人は全員成就者で、かつ、ほとんどが麻原教祖のシャクティーパットを受けた古い弟子たちだった。もし彼らに体験がなかったら、教祖に帰依してあんなところまで行っただろうか? そして、忘れてはならないのは教祖もまた宗教体験に導かれていたということ。理解されにくいところだとは思うが、自我は体験をコントロールできず、体験が自我をしかるべきところへと連れていく」

そんな話を聞くと人は苛立ち、怒りはじめるだろう。

「修行体験がなんだ。そんなもので人を殺してもいいのか」と。

人を殺していいなんて決して思わない。けれど、人間にとって「光の体験」は、根源的で圧倒されるような打ち消すことのできない経験になる。いうなれば大いなる意識/神/宗教性との遭遇だから、その体験が人をして善悪や生死を踏み超えさせてしまうことがある、という事実。

本来、そのような体験をした人たちは社会の福田(ふくでん)となるはずなのに、オウムに入る前の私がそうだったように、現代人はそのような体験のことは知らないし、知ろうともしない。お寺に行ってもそんな話を聞くことはない。もし聞いたとしても、ほとんどの人はオウムに対する姿勢と同じように軽んじ蔑むだけだろう。

そのような現代日本の根源的な宗教性を失った精神風土から、皮肉にも麻原彰晃と弟子たちが経験した破格ともいえる強烈なクンダリニー体験・光の体験が生まれ、オウム真理教事件という悲惨な結末につながっていったように私には思えてならない。

宗教ということを離れて見れば、オウムにすべてを捧げた彼らも、私自身もまたそのような時代の渇きの“犠牲者”だったといえるかもしれない。
宗教として見るなら、そのような体験と引き換えに、すべてを剥ぎ取られ罵倒され追い出され殺されるほどの犠牲を強いられたとするならば、それこそ宗教の根源を身をもって体験させられた、ということなのかもしれない。

13人の処刑のあと、大きなショックが落ち着いてきたら、「死」というものがとてもクリアになった感じがしている。
あれこれ考えると気が重くなるのに、彼らに心を向けると、明るく、軽い。

これが13人が解放された印なんだとしたら、とてもうれしい。

私の体験だから、私はそう信じている。

さようなら
12人の元オウム真理教の出家修行者たち
教祖・麻原彰晃

このような終わりにも
十方諸仏の無量の慈悲が
絶え間なく、降りそそいでいるのだろう――

*ここで「光の体験」と一言で表現しているが、その体験は一様ではない。最初に様々な色の光、黄金の光、まばゆい白銀光、そして、透明光。それぞれの光の体験がそれを体験している意識に影響を与えていく。透明光は「私の」体験ではないが一応“体験”としておく。



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