母たちの国へ12. 「親のために」

私をオウムに導いた兄は、ずっと熱心な在家信徒として活動していた。真理を探究することが好きで、たくさんの人に法則(ダルマ)を説いてオウムに導いた実績もあり、独身で、理系で、仕事もできたので、東京本部道場の責任者だったサクラ―正悟師から出家を勧められていた。

あれほどオウムを認めている兄がなぜ出家しないのか、私はすごく不思議だった。
兄はこんなことを言っていた。

「出家ってのは、ちょっと違うような気がするんだ。俺の理想は、その辺にいるフツーの、おっさんでさ、でも解脱して悟ってるというか。そういうのがさ、俺の理想なんだよな…」

教団は、なんらかの事情で出家者を増やす必要があるとき、在家信徒に対して「出家刈り」と呼ばれる強烈な働きかけを何度かしたことがある。そんなとき正悟師クラスの幹部が説得しても、兄は首を縦に振らず在家を貫いていた。熱心な在家信徒は誰もかれもすぐに出家してしまうオウムにあって、兄のような存在は珍しかった。

ところが、地下鉄サリン事件が起こって、日本中から疑惑の目が注がれていた教団最末期の混乱のなか、兄は突然出家したのだ。幹部が次々と逮捕されている最中に実家へ行って、両親や親戚の人に「オウムは絶対にやっていないからね」と言って、まるで自分が出家することでオウムの潔白を証明しようとするかのように、あれほど出家を拒んでいた兄が出家した。

後に、この話を両親から聞いたとき、かつて『サンデー毎日』がオウム批判をくり広げたことをきっかけにして、私が出家を決心したときと同じみたいだなと思った。
なにかを信じている人、なにかに惹かれている人は、信じているものが誤解されたり、否定されたり、不当に叩かれていると感じると、それに反発するように、ますます近づいたり一気に飛び込んでしまうことがあるのだろう。

そんなふうに事件直後に出家した兄だったが、一年経つか経たないうちに現世に戻った。なにを考えて出家をやめオウムをやめることにしたのか詳しい話はしていないし、そもそも兄が飛び込んだオウムの崩壊期――麻原教祖も幹部たちもいなくなり教団が機能不全に陥ったような状況で、はたして「出家」ということが成立していたのだろうか? とも思う。

しばらくすると兄が結婚するというので会いに行くと、はっきりとした口調で言った。

「俺は結婚する。子どもも作る。親のためにも、俺はそうするから」

そして、兄は結婚し、私たちの両親にとって初めてとなる孫の顔を見せた。

「親のために」と兄が言ったとき、正直なところ私には意味がよくわからなかった。きっとそれは私が親のことを、子どもが二人ともオウムに行ってしまった親の気持ちを、真剣に考えたことがなかったからだろう。本当のところ、兄にもオウムをやめてほしくなかったが、そんな私の思いを察したのか、兄は言った。

「オウムは、もう終わったんだよ…」

兄にとっては、そうだったんだろう。


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