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さようなら、法友たち(2018.07.19)

一週間を過ぎた頃から
落ち着きを取り戻した
死刑執行のニュースを聞いても
取り乱したりはしなかったが
どこかにショックはあって
いつもと同じではいられなかった

一人で過ごしたかったが
家事を放りだすわけにもいかず
三度のご飯は作らなきゃならない
こんなとき
「ああ、オウムは良かったな」と思う
一日一食で
根菜の煮物と納豆と豆乳とご飯
毎日メニューは同じだった

老親との生活は
朝の七時と昼の十二時と夕方六時
決まった時間の食事と
食卓でのテレビのニュース
テレビは大嫌いなんだけど
テレビがないと間が持たないしね

でも、あの日からしばらくは
食べ終わると早々に片づけて
台所でシンクを磨いたりしていた

速報は、父を連れて朝一番に行った
病院の待合室のテレビで見た
番組の途中にテロップが流れた
「麻原死刑囚に死刑執行」
父がそれを見て
「おい、ほら…」と、私に言った

言われなくても見ているよ
テレビはいつから
「松本智津夫」じゃなくて
「麻原彰晃」に戻ったんだ? 
なんだか無性に腹が立った

死刑が執行されたんだ
「そう…」と思って
テレビから目を離した
それ以上なにを見る必要があるだろうか

父の診察に付き添って
終わって家に帰り
降りやまぬ雨の中を出かけて花を買った
数日前から
オイルランプを作っていた
手作りのアルミ板のシェードには
梵字を打った
まるで今日の準備をしていたみたい

花と灯明と
そして、お香の供養
私のホーリーネームは
デューパー(香)だったのだから
お香はなしでいいことにしよう

六人の弟子たちが
次々と執行されたことは
少し時間をおいて知った

早川さん
中川さん
新実さん
遠藤さん
井上さん
土谷さん

もしかすると
麻原教祖の執行より
ショックだったのかもしれない

なぜだろう
弟子たちに死刑執行はないと
どこかで思っていたようだ

とても恐ろしいことが起こっている
という気がした
六人に恐ろしいことが起こったということ
この国が六人の弟子を殺したということ

あとの六人の執行がないように
どういう理由でもいいから
死刑執行がないことを願った
六人のために
この国のために

元オウムの人から連絡がきたり
ブログからメールをくれる人がいた

みんな同じように
どこかショックを受けているんだろう
そして、そのことについて
誰かとなにかを話したいんだろう

ネットをのぞくと
死刑を喜んでいる人がたくさんいる
やっと執行したか
遅すぎるくらいだ、と
全国民がそう思っているように感じた

六人はみんな出家修行者だった
信徒のときから
出家生活を通じて
法(ダルマ)を学び
修行に生きていた

逮捕されて
法廷で裁きを受け
二十三年間拘置所の独房の中で

行きたいところに行く
会いたい人に会う
話したいことを話す
食べたいものを食べる
飲みたいものを飲む
そんな当たり前の欲求を満たすこともなく
拘置前の出家生活から数えれば
三十年以上、そんなふうに生きたんだね

長い長いリトリート修行
極厳修行をしたようなものなのかな

信仰を守ろうが
信仰を捨てようが
あなた方が
そんなふうに生きていたことを
私は忘れないよ

今はどんな気分かな
今生のカルマから解放されて
晴れ晴れとしているかしら
そのようにも思えるから
悲しみはない
大変だったよね
ご苦労様

オウム真理教事件について
いろんな人が
いろんなことを言う
二十三年前も
今も
同じようなことを
メディアはバカみたいに繰り返している

でも、だれがなんと言おうと
あなた方の
一番最初の純粋な動機を
私は知っている

――修行して
煩悩と闘って
解脱して
真理を悟り
そして、世界を救うんだ――

という夢に
あなた方はすべてを
文字通り
すべてを、かけた

そこに思いを馳せられるのは
法友だった私たちだけ

だから
忘れないよ
あの頃
みんなが尊師を好きだった頃の
あなた方の笑顔を
声を

日常という今を私は生きている
スーパーマーケットに行って
レジかごを腕にかけて
特売品をのぞきこみながら
今晩のメニューを考える
買い物客の誰一人として
この街に住む誰一人として
日本中のほとんど誰も
オウムが見た夢を知らないだろう

あなた方の
一番最初の純粋な動機を
ふとした風景の
一瞬の光の中に感じて
私はこの決まりきった日常を
あなた方よりもう少しだけ長く生きるだろう


さようなら
修行者たち

さようなら
真理の探求者たち


<2018/7/6死刑執行の二週間後に>

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