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遺骨・判決

道場開きと里帰り

前回の投稿「この世の外の人」を書いたあと、久しぶりに元オウムの人とLINEをした。どういう話の流れだったか、オウムの草創期を知っているその人が、「富士の道場開きの祝賀式典のとき、麻原さんのご両親が熊本から来ていた」というのだ。

「へー、そうだったんだ。自分がつくった教団の道場開きに親を呼ぶって、麻原さん、けっこう普通だね。常識的というか、意外」

富士山総本部の道場開きがあった1988年、私はまだオウムを知らなかった。その翌年の春に入信して、教団機関誌のバックナンバーで、道場開きのためにチベット密教カギュ派の総帥カル・リンポチェという高僧が来日し、祝福や説法をした記事を読んで「お目にかかりたかったなぁ」と思っていた。

麻原さんのご両親が招待されて来ていたことは、その場にいた人しか知らないだろう。それを聞いて「そういえば」と思い出したことがある。刑死した林泰男さんも、他の弟子たちと一緒に「熊本の麻原さんの実家へ行ったことがある」と言っていた。

麻原さんの生い立ちについて、「食い扶持を減らすために盲学校に入れられた」「寄宿舎に入れたまま親は卒業まで一度も会いに来なかった」などとして、麻原さんが親を恨んでいたかのように書かれていることが多い。しかし、総本部の道場開きに親を招待したり、弟子たちを連れて実家へ里帰りしたことがあるなら、特別親を恨んでいたわけでもなかったのだろう。私の知っている麻原さんもそういう人だった。

親子の縁

オウムの海外ツアーでスリランカに行ったときのことだ。
通訳をしてくれた現地の男性が質問した。
「私もいつか修行をして解脱したい。仕事も妻子もあって解脱できるでしょうか」
麻原さんはこう答えていた。
「私も妻子がいて修行しました。それでも解脱はできますよ」

実際、麻原さんはずっと在家修行者だった。自分の両親、若くして結婚した妻、子どもたち、誰とも縁を切っていない。逮捕拘留されてからの長い年月、三女・松本麗華さんをはじめ、松本家の子どもたちも父親と関係を断っていない。後に、四女一人が親と絶縁したが、拘置所の麻原さんの健康状態を心配し、勇気をふりしぼってそれを訴えたのは、信者でも弟子でもない麻原さんの子どもたちだった。

死刑執行から三年経とうとしているが、麻原さんの遺骨は拘置所から出て来ない。前回の記事で、「現世否定」を説いていた麻原さんは、現世に帰ってくることはないのかもしれないと書いた。しかし、よくよく考えてみると麻原さんは親子の縁を切っていないし、子どもたちは父の帰りを待っているのだから、家族のもとに遺骨が帰る日も遠くないのかもしれない。

きっとそうなるんじゃないかな、そうであってほしいと願っている。

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これを書き終わったと思ったら、先ほど最高裁の判決が出たようです。
よかったね。


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