母たちの国へ03. 荷物の整理

新しいマンションに引っ越すにあたって、荷物を整理することにした。教団に出家する際には衣装ケース二個分しか私物はなかったのに、十七年も生活するうちにずいぶん荷物が増えてしまっていた。大半はオウムで出版された大量の書籍や、教学のためのテキスト、カセットテープなどで、それに加えて、宗教的な法具や修行道具もあった。

まず、麻原教祖の説法は、オウム研究に必要な電子データを残して本やテキストなど紙媒体のものは処分した。大量のビデオテープやカセットテープやCDも処分して、必要なものは音声データに落とした。教団にいたときもあまり好きじゃなくて被らなかったPSI(パーフェクト・サーベーション・イニシエーション)いわゆる「ヘッドギア」の帽子と基盤と電池、師の制服だった白いクルタももちろん処分した。

マントラ・メトロノーム(呼吸のペースを一定に保つための修行道具)は残した。ステンレス製の托鉢鉢は底に大きくオウム字(梵字)が入っているので捨てる場所に困って、趣味のキャンプで鍋として使っている。
個人祭壇は、蝶番がついていてぱかっと開けられる手のひらサイズで、電気を入れるとキャンドルが灯り、ヒーターで温められた水香がかおるちょっとハイテクなものだ。もともと信徒向けだったが、大量に在庫があったので最後は出家者全員に配られた。

私はこれまで一度も個人祭壇を使ったことはないし、今後も使うことはないだろう。でも、出家修行者が創意工夫を凝らして作った祭壇を捨てられず、小さいのをいいことに段ボール箱の隅に入れたままになっている。

クンダリニー・ヨーガを成就したときに伝授された小ぶりのタンカ(チベットの宗教画)、三叉戟(さんさげき)、ストゥーパなどの法具、筋力トレーニング用の「ヘラクレス」(オウムで作ったブルワーカー)も、使わないのにとってある。タンカ以外はすべて出家者が作ったもので、どこか素人っぽくても作った人の信仰心が伝わってくるようで、捨てるに捨てられなかった。

オウムのものは、「麻原彰晃」「オウム真理教」という文字や、教祖の写真が必ずどこかに入っているし、捨てるにしてもいろいろな意味で気を遣わなければならない。「こういうの、みんなはどうしているのかな?」と思って私は処分していったが、知り合いはオウムの書籍と雑誌はすべて持っていると自慢していた。

機関誌だった月刊『マハーヤーナ』を全巻持っている人は珍しくないかもしれないが、その人は『病は癒える』『蓮華の心』という小冊子に至るまですべて持っていた。そこまでいくと信仰心というよりコレクターなのかもしれない。ある人は「御宝髪を持っているのよ」と、嬉しそうに小声で打ち明けてくれた。

「五仏マンダラ」「解脱マンダラ」「プルシャ」など、探せばどこかにあるはずだという人もいるだろう。今では、インターネットで検索すれば教祖の説法や歌やオウムのアニメーションを自由に見ることもできる。しかし、「なつかしいなぁ…」と思って見ることはあっても、かつてと同じ価値を感じることはもうないだろう。それらは、あの日あのときのオウムのなかで、かけがえのないものとしてたしかに輝いていたのだけれど。

荷物を整理していると、透明な袋に写真が何枚か入っているのを見つけた。
取り出すと、なかに麻原教祖と私のツーショットの記念写真があった。
だれが撮ったものか忘れてしまったが、一枚はチベット、もう一枚は冬のモスクワで撮ったものだ。教祖はいつものように屈託のない明るい笑顔だ。その横に立っている私は少し照れ臭そうに笑っている。
写真の麻原教祖を見ながら私は思った。

「すべては無常だ…いつもそう教えてくれましたね。真実でしたよ。教団も、あなたも、すっかり変わってしまった…本当に、すべて無常ですね…」

写真を袋に戻して、処分するかどうか一瞬考えてから、オウムの荷物を入れた段ボールのなかにそっと仕舞い込んだ。

まだ、整理しきれないものがたくさん残っている。


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