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073. 教祖との距離

一九九四年六月、オウムに「省庁制」が導入された――というと、なにかすごいことがはじまった印象を与えるが、経理は「大蔵省」に、附属医院は「治療省」、科学班は「科学技術省」、建築班は「建設省」など、各部署の名前が変わっただけで出家者の日常に大きな変化はなかった。(1)

この時期、出家者の数は千百人を超え、麻原教祖の体調が悪化したこともあって全員を見ることができなくなり、省庁制によって各大臣に省庁をまとめる責任と権限が与えられた。(2)オウムの修行の特徴は、グル(教祖)と弟子の一対一の関係にあったのだから、教祖が弟子から遠くなって「神聖法王」という天皇のような象徴的存在になったことは、振り返ってみればとても大きなことだったのかもしれない。

私は、サクラー正悟師を大臣とする東信徒庁(東日本の支部道場を管理・統括する部署)の三人の次官の一人として青山道場に常駐するようになった。教祖と弟子の距離が遠くなったこの時期に、逆に私は教祖と一対一になる機会があったのでそれを書いておこう。

教団にいた間に、私が麻原教祖と二人だけになったことはわずかに二回だった。(私は教祖の近くにあまり行きたくなかったし、盲目の教祖の側にはいつも誰かがいたから)。

一度は、支部活動の用事で第六サティアンの教祖の部屋に呼ばれたときだ。先に来ていたサクラー正悟師に教祖は言った。

「サクラー、ももの缶ジュースがあっただろう。デュパに持ってきてやってくれないか」

サクラー正悟師は「はい」と言うと、勝手知ったるという様子で部屋を出て行った。

私は教祖と二人だけになった。
ひとことふたこと言葉を交わしていたと思う。教祖の瞑想室でもある十畳ほどのがらんとした部屋で、私は教祖の問いかけにぽつぽつと答えながら、「あれ?」と思った。

その部屋の空間に透明なエネルギーの波紋が広がっているのに気づいたのだ。透明で視覚的にはきらめいて見える。そして、さざ波のように広がっていく。人は場のエネルギーの良し悪しというものをなんとなく感じているから、良いエネルギー・悪いエネルギーなら想像できるかもしれないが、透明なエネルギーというのはよくわからないかもしれない。そこにあったのは、良いとも清らかとも違う、ただ透明で広がっていくエネルギーだった。

サクラー正悟師が部屋に戻ってきて、教祖が言った。

「サクラー、場所はわかったか?」

このとき私はびっくりした。サクラー正悟師は教祖にとって最も古い十年来の愛弟子だから、「サクラー」と呼びかける声には無意識のうちに親しみがこもるものではないだろうか。ましてそこは公の場所ではないのだ。正悟師に対するときと私に対するときと、教祖の声が完璧に同じだったことに私はぎょっとした。

「サクラー正悟師と私と、ぜんぜん差がない…」

そして、今度はサクラー正悟師が私に話しかけてきた。驚いたことにサクラー正悟師の声も、私より先輩で教祖に近い高弟だという意識による差別が微塵もなく、その空間のエネルギーと同じように透明だった。このときの正悟師は普段とちょっと違うようだった。

もう一度は、ルドラ・チャクリンという薬物イニシエーション(3)を受けたときだ。このイニシエーションで使われた薬は、キリストのイニシエーションほど強烈なものではなく、わりと意識を保ちながら穏やかに潜在意識に入ってくような配合だったらしいが、私はこのイニシエーションで完全に気絶してしまった。これはかなりショックだった。なぜならこのとき私は麻原教祖の誘導瞑想(教祖と一緒に瞑想する)を同時に受けていたからだ。

第六サティアンのシールドルームで蓮華座を組んで座っていると、すぐに深い意識に入っていくのがわかった。ほどなくドアが開いて「どうだ」と言って教祖が部屋に入ってきたが、私はもう答えることも目を開けることもできなかった。

近くに教祖が座ったのはわかったが、それからはなにも覚えていない――。

どのくらいそうしていたのだろう。意識が戻ると、かなり時間がたっているように感じた。するとシールドルームのドアが開いた。

「どうだったか。速すぎてついてこれなかったようだな」

通路に立っていた教祖がそう言った。

「縁は深いんだがなあ、まだ思い出していないみたいだな」

教祖が続けてこう言ったとき、なぜか私はシールドルームからばっと外に飛び出して、立っている教祖の足元に土下座して懇願していた。

「どうか、もう二度と、二度と私を支部へ戻さないでください。お願いします。私にはまったく四無量心というものがないんです。なにもありません。絶対に、支部に戻さないでください…」(4)

イニシエーション中のことはなにも覚えていなかったから、どうしてこんな行動をしてこんなことを言ったのか理由を聞かれてもわからない。ただ、私はまるでなにかに圧倒されて、自分の卑小さを嫌というほど思い知って打ちのめされた人のように反応していた。

「四無量心がなければ、つちかえばいいじゃないか」

教祖はあっさりとそう言った。隅っこに置かれたデッキからは、オウムの曲「ウマーパールヴァティーの愛」のゆったりとした旋律が流れていた。


(1)全部で22省庁。新たにできた「法皇官房」は、薬物イニシエーションで大きな役割を果たした。省庁制の発足式の直後、松本にサリンがまかれた。
(2)省庁制について教祖は「破防法」弁明手続で次のように説明している。
「私の体調が非常に悪くてですね、それによって私の責任分担みたいなものを軽減したいということがございました。したがって、たとえば部・班制と、それから省庁制の違いは何かというと、ポイントとなる人事権と言ったらいいのでしょうか、たとえばトップの人、大臣とか長官と言われている人たちが次官を任命できるとか、あるいは自分たちの省庁の中にいる人たちについては、しっかりと全部管理運営するということが第一点のポイントでございます。それから、第二のポイントとしましては、サマナの数が多くなりまして、それによって、要するにどんどん私との距離が遠くなりまして象徴化みたいなものが行なわれたということです。
ですから、大体この二点がポイントでして、一般に言われている、権力が私に集中したのではなくて、逆に権力の分散が図られたということでございます。」
(3)「ルドラ・チャクリンのイニシエーション」は、「キリストのイニシエーション」を改良した薬物イニシエーション。
(4)四無量心(しむりょうしん)は、仏教の四つの偉大な心の働き。「慈」「悲」「喜」「捨」。


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