母たちの国へ02. それぞれの変化

手術の後、退院してしばらくは静養しながら読書の日々を送った。

身体だけではなく、なにかが以前よりずいぶんと楽になっていた。穏やかに流れる日常のなかで、ちょっとした出来事でも可笑しくて声をあげて笑ってしまうことがたびたびあった。

「箸が転んでもおかしい年頃っていうけど、今頃…?」

ともすれば深刻になりがちな私にとっては、不思議な意識状態だった。「もしかすると今までになく幸福といってもいいんじゃないか…」そう思った。

ゆっくりとではあったが生活環境も変わっていった。教団を出る際、定職もないのになんとか貸りることができた陽当たりの悪い部屋から引っ越すことにした。「サンヒルズ」という晴れ晴れとした名の新しいマンションは、天気の良い日には三階の南西の窓から遠く富士山を望むことができた。
こうしてオウムの後継団体アレフの本部があった世田谷区からさらに離れた場所で暮らすようになって、教団をやめてもどこか身を隠すような気持ちでいた生活に、少し明るい光が差し込んできたようだった。

私が脱会したあと、上祐氏のグループが脱会して「ひかりの輪」という団体を立ち上げて完全に教団は分裂した。多くの出家者(サマナ)や信徒が上祐氏についていくのでは? と思っていたが、私の予想に反して「ひかりの輪」に行った人はそれほど多くはなかった。

そして、しばらくするとその人たちも次々とやめていった。なかでも上祐氏の側近の一人だった元М師がやめたことは意外だった。

元М師と会って話してみると、やめたのは上祐氏についていけなくなったからだという。古巣の批判はしたくないようすで、感情を抑えて事実を少し話してくれた。

「絶対に、やめさせてくれへんねん…」
「そうなの?」
「ほんまに出るの大変やったよ。やめたいと言う人には長時間の拘束…部屋から出さないでずっと説得するねん。懐柔が効果ないと、今度は罵声を浴びせて言葉の暴力。ティッシュの箱投げたり、床をドンドン踏み鳴らしたり、壁をバンバン叩いたり。私は顔を殴られて…」
「顔、殴ったの、上祐さんが?」
「七、八発やったと思う…ほら、映画とかにあるやん、あんなふうに口の中が切れて血が出たわ。パワハラやで…」
「なにそれ…女性を殴るなんて、最低…」

そして、教団に残っていた五人の正悟師のうち、アッサージ正悟師一人を残して全員が脱会していった。きっかけは麻原教祖の四女の働きかけだったという。
そのとき脱会した元サマナの話では、「聡香ちゃん(四女)が尊師の意識と合一したって言うの。本当に、話し方も尊師が乗りうつってるみたいだったんだよ…」

そして、四女の指示で教団を出ることになったという。

「指示って、じゃあ、出たあとは聡香ちゃんが責任もってくれるの?」
「それが…今どこにいるのかも知らないし、もう連絡もつかないのよ…」
「なにそれ…」

出家者同士が暴力をふるうなんて以前の教団ではなかったし、教祖と意識が合一したという話をすぐに真に受けて教団を出るなんて、いったい、みんなどうしちゃったんだろうか? でも、私はすべてを捨てて修行したかつての仲間や、オウムの後継団体で出家修行を続ける人たちを批判する気持ちはなかった。

とにかく、こんがらがった糸みたいにわけがわからなくなってしまったオウム――それを「なんとか理解したい」という切実な思いだけがあった。


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