母たちの国へ26. 月光菩薩

2002年の6月末だったと思う。母と奈良駅で降りると、駅構内には「東大寺のすべて 大仏開眼1250年記念」という大きなポスターがあちこちに貼られていた。ちょうど東大寺に関係する宝物を一堂に集めた展覧会が、奈良国立博物館で開催されているらしい。私たちは大仏を見に行く前に「東大寺のすべて」展を見に行くことにした。

展覧会の会場は人であふれかえっていた。母と私は大勢の人たちの列に連なって順番に展示を観ていった。一階フロアを見終わって、中央の階段で二階に上がってすぐのところには、ひときわ目をひく像が展示されていた。いつもは東大寺の三月堂に安置されている高さ三メートルの国宝「不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)」像、そして、その両脇には国宝「日光菩薩」「月光菩薩」像が置かれていた。中央の不空羂索観音像は全体的に複雑な形をして威容を誇っているのに対して、両側に置かれた日光菩薩と月光菩薩の像は、やや小ぶりで洗練されたたたずまいをしていた。

人の流れに沿って展示を見ていた私は、母が近くにいないことに気がついた。

「あれ? お母さんどこかな…」

そう思って振り返った。
母は三体の像の前でまだ立ち止まっていて、像を見上げていた。やがて、ゆっくりと両手を合わせ、少しこうべを垂れて瞑目した。
東大寺の歴史的な資料をたくさん見ようと、パンフレットを片手に動きまわっている大勢の人たちのなかで、合掌する母のまわりだけ時間が止まっているようだった。

少し離れたところから母の姿を見ていた私は思った。

「まったく、ここは博物館でお寺じゃないんだからさ…。こんなところで手を合わせるなんて、やっぱりお母さんも昔の人なんだなぁ…」

端正な姿ですっと立って合掌している日光・月光菩薩像と、両手を合わせている母の姿が重なって見えた。

「こういう、素朴というのかな…素直に手を合わせてこうべを垂れるという信仰が、私にはないんだよな…」

そのとき、そんな自分を悲しんでいる自分がいることに気づいた。


13年も前のそんな光景――博物館に展示されている像の前で合掌する母の姿を、私は東大寺ミュージアムに展示されている日光・月光菩薩像を見て、昨日のことのように思い出していた。少し茫然としながら、ミュージアムの出口付近にあるショップに入ると、今しがた見ていた月光菩薩像のフィギュアがあるのを見つけた。手に取ってみると本物そっくりに精巧に作られていたので、迷わず購入することにした。ただ、月光菩薩像はあっても日光菩薩像が見当たらなかったので、店員さんに「日光菩薩像のフィギュアはないんですか?」と聞いてみた。

「にっこうさん、がっこうさん、地元の人はそう呼ばはるんですけど、フィギュアになっているのはどういうわけか、がっこうさんだけなんですよ。同じようなお姿の仏さまなので、がっこうさんしか作らなかったんかもしれませんなあ」

母のことを思い出した記念に、私は月光菩薩像のフィギュアを購入した。

東大寺を後にした私は、Tさんと連絡を取って駅で待ち合わせた。そして、早くから開いている居酒屋に入って、オウムのことや、ユング心理学、仏教のことなどを夢中になって話しているうちに、気がつけば二人とも最終の新幹線を逃していた。仕方がないので、Tさんが知り合いのペンションに電話をしてくれて、急遽そこに泊まることになった。

宿についたのは九時近かった。
「ここは奈良公園のすぐ隣で、気功のグループで宿泊したときは、朝早くに公園で気功したのよ」
ペンションの部屋に入って荷物をおろすと、就寝するにはまだ早かったので少し散歩しようということになった。
観光地だからだろう、夜の公園をそぞろ歩きしている人たちがたくさんいた。暗闇のなかで身を寄せ合っている奈良公園の鹿たちの目が、街灯に反射して奇妙に光っていた。
ゆっくりと公園のなかを歩きながら東大寺参道の中門あたりに来たときだった。
突然、さーっと小雨が降ってきた。
雨宿りするほどでもなく、濡れて歩くのも気持ちがよかった。
中門の前の広場にはいくつも街灯があって、鏡池の水面にも光が反射していた。私は池のほとりに立って、なにげなく中門の方を振り返って見た。そのとき、あたりの様子が普通ではないことに気がついた。

「これ、は…?」

閉ざされた中門の向こうの大仏殿の方から、それは広がって来ていた。

「これって、いったい…」

エネルギーと言うべきなのだろうか。それを表現する言葉は「限りない」「透明な」「すべてを包み込む」「愛」(ただし、この愛は人間的な愛とはまったく違う。もしもそれに触れたとしたら総毛立つような、ぞっとするほどの愛だ)――残念ながら私にはそれくらいしか思い浮かばない。気がつけば私のまわりの空間が、その透明な光で輝いていた。でも、Tさんも、まわりにいる人たちも、ぜんぜん気づいていないようだ。それは大仏殿の方からどんどん押し寄せてきていて、門を越えて世界中に広がっているようだった。

その光のエネルギーのなかに私がいる。そして、なぜかその根底には、かすかに、ほんのかすかに「悲しみ」があった。

「だから、慈悲っていうんだ…」

今、あたりはそれで満ちていた。そこに人びとがいる。私がいる。でも、それに気づいているのは私だけだった。夏至の夜、東大寺の参道にある大きな門の前の鏡池のほとりで、私を圧倒しているこれはなんだろうか? 私は頭をフル回転させて、それがなんであるかをつきとめようとした。

今から1200年以上も前の、この大仏を建造した人びとの仏を求める想念? 
救いを求める心? 
あるいは、この日春日大社で1200年もの間秘されてきたイワクラを見たから? 
13年前に母と訪れた東大寺で、大仏や日光菩薩・月光菩薩像を再び見たこと? 
それを今日思い出したこと? 
そういうさまざまな舞台装置のようなものが、ジグソーパズルのすべてのピースがぴたっとはまるように、今この瞬間に世界に正しく作用して、このような現象を私の前に現しているのだろうか?

いや、否だ。

そんな舞台装置のようなものと、それはまったく関係がない。そのような装置、すなわち物語を必要とするのは私であって、それとはなんの関係もない。
この私とも、ここにいる人びととも、この大きな東大寺とも、大仏とも、この世界とも、それはまったく関係がないのだ。そういうものすべてが、そしてもちろんこの私自身も、その透明な光のなかに、ただ映っているだけの影にすぎないという真実が、そのときリアルになった。

そして、私のどこかが狂ってしまったんだろう。

【不空羂索観音(ふくうけんさくかんのん)】多臂(多くの腕)を持ち、鹿の毛皮を身に纏うのが特徴。この「野獣の毛皮を纏う」という点でヒンドゥー教のシヴァ神と関係があるという説もある。また、シカとの関係から春日大社第一の神であるタケミカヅチの本地仏とされる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?