母たちの国へ25. イワクラ

その日は、朝一番の名古屋行きの特急列車に乗って京都に向かっていた。
平日の在来線の特急はガラガラだった。窓際の席に一人で座って初夏のまぶしい緑の景色を見ていると、スマートフォンにメールが来た。Tさんからだった。

「今日は夏至ですね。特別な一日をどう過ごそうかと考えて、奈良へ行こうと思っているところです」

富士を案内してから二か月が経っていた。京都へ向かっていた私はびっくりして返信した。

「偶然ですね! 今、京都へ向かっているところです」

Tさんのメールにはこんなことも書いてあった。

「奈良の春日大社で千二百年間非公開だったイワクラが、今回初めて公開されているので見たいと思っています」

「イワクラ」がなんであるかも知らなかったが、京都と奈良はそう遠くないし、千二百年もの間見ることができなかった貴重なものが見られるなら、奈良まで行ってみてもいいな…京都に特別な用事があるわけではなく、古都を歩いてこようと珍しく思い立って出てきたのだし。

「それじゃあ、私も春日大社に行ってイワクラとやらを見ますよ。それぞれ見終わったら、どこかで落ち合って感想でも話しませんか」

そうメールして、奈良で会うことにした。

イワクラは「磐座」と書く。春日大社の磐座のことを、スマートフォンで調べてみるとこんなことが書かれていた。

謎の磐座が初公開!
『国宝御本殿特別公開』
春日大社「第六十次式年造替特別公開」
今しか拝観出来ない、特別な聖地へ。

古都奈良の世界遺産であり、境内の鹿でも有名な春日大社。年間2200回以上のお祭りが奉仕され、その中で至高最上の祭典が20年に一度斎行される「式年造替(しきねんぞうたい)」です。2015年は60回目の節目に当たり、4月1日~5月31日まで国宝御本殿が特別公開されています。なんと後殿への参入が許されたのは140年ぶり!
しかも御本殿創建に関わる謎の磐座は初公開です!

五月末までだった特別公開が、一か月延長されて六月末までになったという。六月二十二日の今日、目的もなく京都へ向かっている列車のなかでそんなことを知れば、だれだって「めったにないチャンスなら、なんだかよくわからないけど行ってみようか」と思うだろう。ただ、私は神社・仏閣や、パワースポットというものにはそれほど関心がなかった。
かつて教団が分裂していったとき、上祐氏と彼の取り巻きの人たちが、神社や、いわゆるパワースポット巡りをしていたときも、「正大師、どうしちゃったのかな…」と、あきれていた。だから、春日大社の千二百年もの間非公開だった神秘の石より、どちらかというとTさんと会うことの方が、奈良まで足を延ばす動機だった。

春日大社の磐座は奇妙なものだった。それは地上に出ている先端部分に白い漆喰が塗られている石で、地中に埋まっている部分がどのくらいの大きさなのかはわからないが、想像していたほど大きなものではなかった。拝観する人たちは、数メートル離れたところから神殿の床下の地面にある磐座を、少し身をかがめながら数秒間立ち止まって見た。そもそも人が拝観するような場所ではない。磐座は、見るためにあるものではないことは確かだ。そこに、そのように存在していること、そのことに意味があるのだろうな…と思った。

もうひとつの見どころは国宝の御本殿だった。回廊などに塗られている明るい朱色に対して、御本殿は他に例のない「本朱塗」の濃い朱色が特徴的だった。古来、日本の赤系統の顔料には、本朱(ほんしゅ)、鉛丹(えんたん)、弁柄(べんがら)の三種類があり、一般に神社では鉛丹が使われ、春日大社も御本殿以外には鉛丹が使われている。かたや本朱は水銀朱ともいわれ、貴重で高価な赤の顔料として縄文時代から使われてきた。要するに、春日大社の御本殿だけが、本朱、つまり水銀を使った高貴な赤色で塗られているのだ。

こんなことを検索していると――春日大社。磐座。神秘の石。存在。本朱。水銀。明るく、柔らかく、深みのある尊い赤色。太陽。インドで水銀はシヴァ神の精子とされる。錬金術の賢者の石。水銀はメルクリウス(ヘルメス)の象徴とされるなどなど…ばらばらのキーワードが、私の頭のなかでパズルのピースとなって、あともう少しでカチッとはまるような感じがした。

春日大社の参拝を終えて、私は奈良駅に向かうバスに乗った。右側の席に座って窓の外を見ると近くに巨大な寺院が見える。東大寺だった。そして、その瞬間まで、本当にすっかり忘れ去っていた記憶がよみがえってきた。

「あぁ、ここ、お母さんと来たところだ…」

なにかとても大切なことを思い出したような気がして、あわてて次のバス停で降りた。そして、記憶を確かめながら東大寺の参道を歩いた。

オウム事件の五年後、2000年になる直前に上祐氏が刑期を終えて教団に復帰した。社会の反応を見ながら、再び正大師として教団のトップに立ち、崩壊寸前だった教団の立て直しを精力的に進めていったのだが、その頃、私は心に決めていたことがあった。

「なぜオウムが地下鉄サリン事件を起こしたのかがわからない以上、私には信徒やサマナを指導するなんてできない。でも、教団にいるのになにも仕事をしないわけにはいかないから、一般の人に向けた講義をしよう。私がオウムで学んできた真理を、できるだけわかりやすく、オウム用語を一切使わないで伝えてみよう」

そして、東京、名古屋、京都を中心に、オウムと明かさずに運営しているヨーガ教室の生徒を対象に講義をしていた。そのときも名古屋で講義をして、数日後に京都で予定が入っていた。東京へ戻るのは時間と経費の無駄だったので、どうしようかと考えて、名古屋に近い実家に電話をしてみたのだ。

「名古屋から京都に行く予定なんだけど、数日空きがあるから、お母さん、出てこない? どこか行きたいところがあれば、つき合うけど」

母は「奈良の大仏、見たことないから行ってみたいなあ」と言った。「修学旅行でもあるまいし、大仏かぁ…」と思ったけれど、一緒に奈良へ行くことにした。
私が母と二人で旅行したのはこのときが最初で最後だった。

東大寺の参道を歩いているのは中国人の団体客ばかりだった。かん高く、少し乱暴にさえ聞こえる意味もわからない中国語を聴きながら、私は現実感を失って異国を歩いているような感覚で、記憶をたぐり寄せながら大仏を見学した。母と来たとき、この高さ十五メートルある大仏のまわりを一緒に回ったはずだが、そこでどんな話をしたかも思い出せなかった。そして、大仏殿を出て東大寺のミュージアムに入ったとき、はっきりとよみがえってきたことがあった。

「そうだ、あのとき、日光菩薩と月光菩薩を見たんだ…」

パズルのピースが、カチッとはまったような気がした。


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元オウム真理教出家者。1989年3月入信。その半年後出家。教団での宗教的な修行ステージは「師」。教団での仕事は教団書籍・機関誌の編集。写真撮影。支部道場活動。2006年脱会。オウム真理教での体験とオウム事件について考えたことを書き綴ったブログの記事をnoteにまとめている。

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  • 30本

<全30話>続「オウムとクンダリニー」。教団をやめてから「オウムとはなんだったのか」を追求する内界への旅と、そこからの帰還。