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私がキャンプをはじめたとき

まだオウムにいたとき、私のキャンプははじまった。

1995年の事件のあと、しばらくして福島県いわき市に住むことになった。そのとき私は、オウムでいうところの「潜在意識に突っ込んでいる」状態で、修行者には珍しいことではないにしろ、一般的には精神病を発症しかかっているようなものだった。修行体験、神秘体験といわれるものは、精神疾患に通じる意識状態で、普通に生活しようとすると本人もまわりも大変なことになる。新しい住居でじっとしていると、いてもたってもいられなくなり、目的もなく歩きまわることがよくあった。

そんなときに小名浜海岸で一晩中焚き火をしたことがあった。いつものように私を心配している友人と一緒にあてもなく歩いていたら、視界の広がる浜に出た。どちらが言い出すともなく、乾いた流木を拾い集めてきて焚き火をはじめた。沈む夕日を眺め、また流木を拾ってきては火にくべる。それを繰り返して、結局、一睡もせずに、やがて朝を迎えた。

あれをキャンプといっていいのかどうかはわからない。進むべき方向を見失っていたとき、思いがけず過ごした海辺の焚き火の時間――満天の星々、日の出前のやさしい空の色、そして昇ってくる朝日。一日のはじまりの日の出を見たとき、夜を徹して続けた焚き火が終わったことがわかった。このときの「終わる」という感覚はとても鮮明だった。あれはなにか「儀式」のようなものだったのかもしれない。

それから少しずつキャンプ道具を揃えはじめた。出家修行者に支給される現金は一か月八千円。お金が必要ない生活には十分な金額でも、自分の道具を揃えるには不十分だったから、数か月かけて、コッヘル、ガスコンロ、コンパクトなツーリングテントなどを買い集めた。

最初に買ったのはエバニューのチタン製のコッヘルで、値段は六千円以上、たしか七千円近かったと思う。お金がないのに、なぜもっと安いステンレス製のものを選ばなかったのか、なにを考えていたのか思い出せない。あのとき自由になる一か月分に近い額をはたいても、どうしても「チタン製が欲しい」と思ったのだろう。キャンプ道具に対する欲望とはそういうものだ。

このコッヘルは何度も何度も焚き火にかけて、すすで真っ黒になっては磨いてきた。さすがに持ち手のシリコンチューブは失なわれ、ふた兼フライパンには焦げつきが残って、出番は少なくなったとはいえ、今も現役でいてくれる長いつき合いのキャンプギアだ。きっとこの先も、穴があくまで手元にあるだろう。

ツーリングテントは身分相応に安いものを選んだ。スポーツ用品のアルペンが展開するブランド、サウスフィールドのテントで、ホームセンターのバーゲンセールで値段はコッヘルと同じくらいだった。このテントは価格の割に丈夫な作りで、教団をやめてからもしばらく使い続けた。

はじめてのキャンプから、いつのまにかキャンプギアの話になってしまったので、最後にその頃買って一番よかったものを書いておこう。

オウムで生活するということは365日寝具はシュラフか毛布だ。二十年ものあいだ毎日シュラフ生活をしてきた私が自信をもってお勧めするのが、ISUKAのシュラフシーツ。当時の値段は忘れたが、これも出家者には高価なものだった。コッヘルやテントよりはるかに使用頻度が高いのに、今も気持ちよく使えている。なんの予備知識も情報もないのに、店頭でこのシーツを選んだあの時の自分をほめてあげたい。


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