麻原彰晃の原風景09. 怨恨なのか?
オウム事件の背景には、麻原彰晃の不幸な生い立ちによる社会に対する怨恨があったと考える人は多い。
目が不自由なのは水俣病が原因だったかもしれないこと、幼くして親元から離され寄宿舎生活をしていたこと…その恨みや憎しみによって凶悪な犯罪を犯すようになる、というのは事件の背景として納得しやすいのかもしれない。
たしかに、麻原彰晃の宗教観は社会の価値観とは決して相容れないものではあったが、オウムにいた私は宗教的な強い信念を感じても個人的な怨念のようなものを感じたことはなかった。
宗教学者の島田裕巳氏も異を唱えている。
麻原彰晃が自身の身体障害や生きづらい人生をどう考えていたのかがわかる説法がある。何度かテープで聴いて印象に残った説法だったが、当時の私にはあまりよく理解できていなかったと思う。脱会してから、オウムについて考えるために年代順に説法を読み返して、これが麻原彰晃自身について語られたものであることにようやく気がつき、なにを言おうとしているのか以前よりわかった。説法はこんな問いかけで始まっている。
ここで例にあげている「片耳が聴こえず、もう一方の耳もだんだん悪くなる状態」とは、耳を目に置き換えればまさに麻原彰晃自身のことだ。高弟たち一人一人に質問をして、それぞれの答えを聞きながら最後に次のような説明をする。
麻原彰晃自身、幼少期からまったく目の見えない子どもたちと生活を共にし、見える方の右目もやがて見えなくなるという、無常からくる苦しみを感じていただろう。そして、盲学校を卒業して十二年後、徳がないようにみえる恵まれない環境に生まれたとしても、そこから修行の道に入っていくならば、それは徳がないのではなく、前生から菩薩の修行をしているからであって、今生も菩薩として自己のカルマを滅する、あるいは他の苦しみを背負うという修行をする菩薩だからだ、と説いてる。
生まれ持った障害や逆境は、積極的かつ宗教的にとらえられている。
オウム事件について、高弟だった早川紀代秀死刑囚が宗教的な動機を見落とさないよう訴えている。
(1)島田裕巳氏は麻原彰晃と二度対談し、テレビの討論会(「朝まで生テレビ」)にも一緒に出演しているから、実際に会って話した印象も加わっているだろう。
(2)この説法の背景には、「人は最も徳のある状態で修行の道に入る」という世界観がある。例えば、ブッダは王子として生まれ、なに不自由のない生活を約束された現世的功徳の最高の状態にありながら、無常を痛感して修行の道に入って行く。
この年の選挙活動を経て、麻原彰晃はほぼ視力を失ったと言われている。
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