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070. キリストのイニシエーション

修行者は病気になっても薬は使わず修行で治そうとする。薬を飲むと「気」の流れが阻害されるからだ。私もオウムに入ってからは薬を飲んだことも病院に行ったこともなかった(そもそも風邪さえひかなかった)。

それほど薬を忌避していたオウムで、一九九四年六月から全サマナと信徒を対象に薬物を使った「キリストのイニシエーション」がおこなわれるようになった。このイニシエーションはLSDを使って内的体験をさせるもので、もちろん当時は薬物が使われていることは知らなかった。(1)

イニシエーションが行われた場所は第二サティアンだった。

「これからキリストのイニシエーションをおこなう」

麻原教祖が宣言すると順番にやや黄みがかった透明な液体が入ったワイングラスを渡された。

「これくらいで飛ばされるようでは修行者ではないぞ」

そう言われて、「意識を保たなければ」と気を引きしめイニシエーションを飲みほした。

二畳ほどの広さのシールドルームへ行って、しっかりと座法を組んで瞑想に入ると、すぐにしびれるような感覚があり潜在意識に入っていくのがわかった。薬物が入っていると言われれば「そうだろうな」と思っただろうが、そのときは起こっていることに集中していて、あれこれ考える余裕はなかった。

蓮華座を組んで座っていると、部屋の外からなにやら騒がしい声が聞こえてきた。どこかで誰かが叫び声を上げている。

「なんだろう、騒がしいなあ…」

そう思っているとドアが開いて、医師のヴァジラティッサ師(中川智正)が顔をのぞかせて言った。

「大丈夫ですか?」

開いたドアの向こうから人の叫び声と、それを落ち着かせようとする看護師らしい女性の声がはっきりと聞こえた。
「ええ、大丈夫です」と答えた。

私は座法を組んだまま、ともすれば飛ばされそうになる意識をなんとか保とうとしていた。遠のきつつある意識のなかで、「これはあまり気持ちのいいものではないな」と思っていると、そのうちに現実なのか幻影なのかわからないヴィジョンがあらわれた。

気がつくと、ステージの高い正大師・正悟師四、五人とヴァジラティッサ師が私をとりかこんでいた。そのとき、私は現実に彼らが部屋に来ているのだと思っていた。

「マハームドラー! マハームドラー!」

ミラレパ正悟師(新実智光)を先頭にして、口々にはやし立てるように言いながら、座っている私のまわりをぐるぐると右回転で走りはじめた。ダダダッと走る彼らのスピードが速まり、頂点に達したところで、今度は私が彼らに向かって鋭く「マハームドラー!」と一言叫んだ。

マハームドラーとは「心のあらわれ」という意味だ。この世界は心のあらわれであり、実体のない幻影のようなものだという「大いなる空性」(マハームドラー)を悟ることが、クンダリニー・ヨーガの次のステージの課題だ。

私が「マハームドラーだ!」と叫ぶと、次の瞬間彼らは一枚の紙切れのように外側にペラっと倒れた。そしてすぐさま、また同じ人物たちがあらわれて「マハームドラー、マハームドラー」とはやし立てながら私のまわりを回転する。回転速度が頂点に達すると、私は「マハームドラーだ!」という強い言葉を投げかける。すると彼らを含む私をとりかこむ世界は、ぺらぺらの紙になって倒れてしまう。

私はシールドのなかで意識がある間ずっと、現実だと思っている世界が実体のない紙芝居のような世界に変わるという経験を繰り返していた。

「終りました」と告げに来たヴァジラティッサ師に「どうでしたか?」と聞かれた。

「疲れましたよ…」

私はため息とともに言った。どのくらい時間が経ったのかわからなかったが、「マハームドラー!」という短い叫びを繰り返してエネルギーを使い切ったような感じがした。

「裸になって暴れて、シールドから飛び出す人もいるんですよね…」

座法を組んだままヴィジョンを見て叫んでいた私の状態は、まだましだと言いたい様子だった。

キリストのイニシエーションの最後は「温熱修行」だった。薬物の影響で気の流れが阻害されないように、五十度の温かい飲み物を1リットル飲んで、四十七度のお風呂に十五分間入る温熱修行を、休憩を入れながら数回くり返すのだ。多くの出家者が「キリストの後の温熱修行ほどつらいものはなかった」と言うほど大変な修行だった。

ユニットバスがぐるりと十ほど並べられた大きな部屋で、看護師資格を持つ師が監督して温熱修行が始まった。私が入ったユニットバスは、ちょうど監督がいる場所から死角になっていた。温熱修行も二巡目に入って監督の師も疲れていたのだろう、一人一人の様子を見にくる気配はなかった。

「あれ、これなら見えないな…」

温熱修行に限らず苦行が苦手だった私は、首までお湯につからないで十五分間をやり過ごし、最後はバスタブの端に腰掛けて足だけ湯につけていた。(2)

私にとってキリストのイニシエーションの体験は、極厳修行の内的体験ほど微細なものではなかった。「尊師、尊師」と教祖を呼び続けた人や、「救済、救済」と叫んでいた人もいたようだから、私が「マハームドラーだ!」と叫んでいたのは、マハームドラーの悟りを得たいという思いが強かったせいかもしれない。他の人たちの体験談を聞いてみると、キリストのイニシエーションによって良くも悪くも強烈な体験をしたようだった。

イニシエーションの体験は教祖に報告され、内容によってステージ昇格が認められ、一年以上ぶりに多くのクンダリニー・ヨーガの成就が認定された。
教祖は、その後も大勢のサマナと信徒に薬物イニシエーションを続けるが、その数は延べにして最低でも三千五百人を超え、もしかすると五千人以上になったかもしれない。(3)
何千人もの人間の潜在意識の扉をこじ開ければ、そのカルマはすべて教祖が背負うことになる。膨大なカルマを背負うことが「キリスト」と名づけられたイニシエーションの本当の目的だったのだろうか。

キリストのイニシエーションとほぼ同時に「省庁制」がスタートする。オウムの省庁制については、一般に「教祖に権力を集中させた」と言われているが、それは逆で、それまで教祖に集中していた権力を大臣を置くことで分散させたというのが実態だった。元幹部の話では、それまでは直接麻原教祖にものごとの判断を聞くことができたが、省庁制がはじまってからは「今後は大臣を通すように」と言われ、教祖との間に距離ができたと感じたそうだ。林郁夫受刑囚も同様のことを著書に書いている。

キリストのイニシエーションに並行して、教祖はサリンやVXガスなどの化学兵器(毒ガス)による外部攻撃を行っていった(一九九四年六月二七日松本サリン事件)。世紀末、世界の終わりにカルマを背負って「キリストになる」という宗教的信念のもとに、教祖は破滅へと突っ込んでいったのかもしれない。


(1)教祖は「LSDは、なぜか徳が減らないんだよ」と言ったそうだ。薬物を使うと徳が減るというデメリットがあるが、LSDにはそういうことがないと評価していた。早川紀代秀さんの著書によると、LSDの原料はロシアから持ってきたものである。
(2)温熱修行は危険なので、必ず医療関係者が付き添うよう決められていた。
(3)薬物イニシエーションを受けた正確な人数はわからないが、六月から翌年二月頃までずっとおこなわれていた。受けた人の体験談など、すべての資料は強制捜査の前に破棄された。
薬物イニシエーションの体験は、その人の潜在意識の体験であり、すなわち死後体験(バルドー体験)だと考えられていた。
オウムでは修行によって徐々に潜在意識へアプローチしていたが、キリストのイニシエーションでは薬物によって一気に潜在意識に入れた。修行の土台がない人は、気絶状態でなにも覚えていなかったり、ひどく暴れたりもしたが、多くの人が意識の深層を体験した。
一九九四年二月には、ロシアのオリンピックスタジアムでロシア人一万二千人を集めて「グルヨーガ・マイトレーヤ・イニシエーション」がおこなわれた。麻原教祖はこれまでにない規模のカルマを背負ったことになる。


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