見出し画像

Kei & GA・ニューヨークでルームシェア

キャサリンがテキサス州に帰った後に入居してきたルームメイトは、アメリカで生まれ育った韓国人姉妹。二人とも学生で、ニュージャージー州だったかな?に実家があったので、いつもそのアパートに居るわけでなくて、いたりいなかったりと気ままな出入り。

たまにモデルをしていたケイは、いつも笑顔でポジティブ全開の健康的な女性。妹のジーエーは姉のケイとは真逆のタイプで、無口で気難しく、一緒にご飯を食べに外へ出よう、といっても家がいい、というような子だったな。外向的な姉に、内向的な妹。アパートに二人揃って居ることはほとんどなかったけど、たまに居るとけっこう口喧嘩してたな。側から見てるとバトルしてることを楽しんでるようにも見えたけど。

リビング兼ベッドルームだった部屋は知らずうちに彼女たちのベッドルームになり、それまでテレビを見たり食事をしたり、くつろぎの場でもあったけど、それができなくなった私は、どんどん居心地悪くなっていったのでした。それぞれの部屋にドアはなく繋がっていて狭い間取りなので、いれば家族のように顔をあわせることになる。広くて独立した部屋があればよかったんでしょうけどね。

その頃私がお付き合いしていた人はニューヨーク在住11年の日本人。彼にアパートのこと姉妹のことを相談したら、彼の住むアパートに移ってきてもいいよ、とありがたいお言葉。彼はチェルシープレイスでひとり住まい。私は彼のアパートへと移り住んだのでした。

画像1

引っ越す時の荷物は、たったひとつの大型のラゲージだけ。クリストファーストリートからチェルシーまで、彼と二人でラゲージを引きながら歩いた道は忘れられないな。チェルシーに向かう途中の煉瓦造りの建物が多いミートパッカーエリアは、石畳の歩道。ラゲージのキャスターがガタガタ、ガタガタと鳴る音。今思い返すとなんだか郷愁ですね。

当時のミートパッカーエリアは、午前中はたくさんの屈強な風体の男性が多くて、人で溢れ、一帯はとても活気付いているけれど、仕事を終えた早い夕方にはシャッターが下ろされ、人はいなくなる。人のいないそのエリアは突然静まりかえって、人がいなくなれば、目に映るのは煉瓦造りの古びた建物と、ガタついた石畳だけ。私的にあの辺りの夕刻は侘しい印象。

そこから歩いてわずかな所にチェルシーはある。チェルシーは落ち着いたムードのある静かなエリア。エンパイアダイナーが隣接するアパートに私は移り住んだ。居心地の良い、快適な暮らしが始まったのでした。

コロンビア大学の寮から、雑多でアーティなクリストファーに、そして閑静でカジュアル感のあるチェルシーへと移っていったのでした。

Life Tips: 一年に一回は見たことがない、行ったことがない場所を訪れましょ。遠くでも近くでも。初めては新しい。(今日も1日 Thank you! 合掌⭐️)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?