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自己紹介が嫌いなので,自己紹介文をつくってみる。

 自己紹介が苦手だ。

 自己紹介というものには,単に「相手に自分を知ってもらう」以上の意味がある。

 「紹介」というが,その本質は「ここでは私はこのキャラでやっていきます」という宣言に近い。今後のそのコミュニティでの振る舞い方,人との関わり方,そういう全てについての方向性がその場で決定づけられてしまう。いや,"られて"しまうとというよりは,自ら決定させられてしまう,と言った方が正確か。
 慎重に,慎重に取り組みたいところである。相手が自分の何を知りたいのかを把握し,的確な情報を選びだし,端的な表現にまとめる。内容に加えて,話し方や言葉遣い,表情も相手にとっては大切な判断材料である。おざなりにするわけにはいかない。

 だが多くの場合,そういうわけにはいかない。慎重に考える時間など大抵与えられず,ド初っ端ノータイムでかますしかない。
 そういうわけで,大抵の自己紹介は,咄嗟に考え付いた何の参考にもならないどうでもいい情報を「敵意はありません,堪忍してください」という腰の引けた愛想笑いと共に提示するなんだか良く分からない腑抜けた代物になってしまう。

 「自分はこういう人間です!」と,どこでも誰にでも自信をもってプレゼンテーションできる自己がある人は良い。人間、そのように明るくまっすぐである方が好ましい。
 そうでない自分の陰気さというか,不器用な部分を感じさせられるので,余計に自己紹介が嫌いである。


 そもそも,「自分で自分を」紹介するというのが無理難題だ。「私は自分をこういう人間だと思っています」という自意識を初対面の人間の前で開陳させられるのである。普通に苦痛ではないか。大体,自分が「周りから見て」どういう人間なのかを知っているのは周りの方であり,自分自身ではない。それなのに,「自分からみた」自分なんていうパーソナル極まりないものをあえて明け透けに喋らせて,一体誰がどんな得をするというのか。非効率である,理解不能である,鬼畜の所業である。

 などど宣ってみるが,私だって分かっている。
 単なる考えすぎである。他人の自己紹介のことを後々覚えている人間など多分少数派である。
 であるが,考えすぎてしまうものは仕方がない。いっそもっと考えすぎてしまおう。その時になってぎゃあぎゃあ言わなくて済むように,今のうちに自己紹介文のテンプレートをゆっくり考えてしまおう。

 と,いうわけで,ようやく本文章の本題に入る。

 自己紹介が嫌いなので,自己紹介文を作ってみる。

↓以下,私の自己紹介文とその作成過程。ちょっと個人的すぎる話もあって気恥ずかしいので,一応有料にしてみている。興味を持ってくださった方は柳照にコーヒーでもご馳走するつもりでよろしくお願いいたします。↓

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