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生き物をたくさん見た

父は出かけるのが大好きである。休日,数時間でも暇があるとすぐどこかへ行ってしまう。特に自分の予定がないと,いつも暇している私をどこかへ連れて行こうとする。この前の朝,私が家でTwitterの動物投稿ばかり見ているのを知っている母が,連れて行くなら水族館か動物園はどうか,と勧めてくれたらしい。父は複数候補の中から京都水族館を選んだ。別に父は魚好きではないが,ここら近場なのに行ったことがないのがずっと気がかりだったらしい。
水族館はさすが日曜だけあって子ども連れが多かった。まだ足元の安定しないような幼い子どもばかりである。そのくらいの年頃だと,私から見れば違う生き物をみているような気がしてくる。最早人間を見るというよりペンギンを見ている気分の方が近い。実際,飼育員に抱えられてバックヤードに運ばれて行くペンギンと親に抱えられてヒキガエルを見せられる子ども,ほとんど同じにみえた。帰ってから母にそう話すと,「まぁほとんど言葉を話さない子どもでも結構なんでも分かってるしねえ」と話していたが,ペンギンだって鳥だけど割と色々分かってそうだし,やっぱり似たようなもんではないのか,と思った。
オオサンショウウオは記憶の通り巨大だった。現代文の教科書を思い出す。実物は貫禄は小説通りだったが,もっと無邪気そうというか,言ってしまうと自我がなさそうに見えた。父が一匹を指して「こんなんなってて大丈夫なんやろか」という。岩とガラスと仲間の隙間で,ぎょっとするくらい丸くなっているのがいた。脇腹の一方は縮みすぎて数十のシワがより,他方は皮膚が最新のストレッチ生地くらい伸びている。皮膚もそうだけど,背骨とか内臓とか大丈夫なん?頭も下向いてもうてるやん?それでええの?なんでそれで落ち着いてられんの?と思った。雨が降れば鴨川下流にも流れてくるらしいから,熱帯や砂漠の珍獣なんかと比べればそう馴染みのない生き物ではないはずのオオサンショウウオだが,「そうはならんくない?」感が強い。まったく奇異な生き物を見る心地がした。サイズ感が人間に近いだけに,却って体の作りの違いが際立って感じられる。両生類って,遠いな。
アザラシとオットセイは,思いの外造形が魚っぽくてケッタイな獣だなとは思ったが,表情やくつろぐ姿勢になんとなく犬や猫に通じるものを感じ,あーこれこれ,哺乳類ってこうよね,と括りの広すぎる同族意識を感じた。つるんとしたフォルムや黒目がちの顔,密な毛並みが愛らしい。ただ,あいつらオッサン臭すぎる。まず声。想像しうる限界ほど堂々としたゲップ音を,あの立派な体躯でもって人間では成し得ない爆音量で轟かせる。本当にそこら一帯に轟く。びっくりした。そんなにオッサン臭くなくていいやろ。イルカみたいなキュ〜とかあるやろ。しかも仰向けに浮かんで丸い腹をペッシ,ペッシと大義そうに鰭で打ちならす。ふと,そういえば,こいつら海ではしっかり肉食獣やってるんだったな,と思い出した。そう思うと急に,ピラミッド上位に君臨して権力を奮う,腹の出たあくどいオッサン大尽のイメージが振ってわいた。嫌だな。もう一度よく顔を見る。可愛い。生き物ってやっぱ,生で見ないと色々とよく分からんもんだな。
イルカとトレーナーの遊びもみた。イルカ,賢く芸達者なイメージが強いが,犬ほど忠実ではないらしく,4回に1度くらいしかコマンド通りに動かない。苦手なコマンドを出されて拗ねてみたり,「飽きたぁ〜」と泳ぎ去っていったり,「出来たよ〜!」と指示とは逆回転でドヤ顔して見せたり,とにかく自我が強い。水の中のもの相手に「飽きてます」「混乱してきちゃったかな?」「得意げですね」と的確にイルカの気分を読み取るトレーナーさんもすごい。背鰭しかみえんやん。そんなトレーナーの愛がこちらにも伝播して,ついイルカを一生懸命応援してしまう。遠くてよく見えないけど,可愛くて愛しく思える。生き物に芸をさせる,というと人間側の勝手な満足にも思えるけど,動物と気持ちが通じた時の喜びみたいなものはもっと綺麗な感情だと思いたくなる。動物の方も楽しんでいたらこんなに嬉しいことはない,とも思う。

午後,もっと動物が見たくなってちょっと遠くの大きなペットショップにも連れて行ってもらった。水族館とは違い,野生で暮らす姿が全然イメージできない生き物が多い。実際最早野生に暮らす生き物ではない子も多いのかもしれない。水玉模様のトカゲなんて,色柄がファンシーすぎて絵のように見える。寄り添いあう綺麗な色の小鳥も,ガラス細工より繊細そうだ。展示方法も,野生の空間をイメージさせるものではなく,当然人間宅で可能な形に寄せてある。動物のいるところ,という点では共通しているが,水族館(動物園なども)とペットショップでは根本的な理念や存在意義がまるで違うのだ,ということがよく分かる。比べるものではないのかもしれないし,どちらが良いと言いたいわけでもない。ただ,人間が関わる動物がみんな幸福であればいいのに,と思った。野生動物はそもそも人間と関係なかったり,ときには互いの生活を脅かし合う競合相手だったりする。全ての動物に優しくあれ,というのはあまりにもアホの台詞である。みんな蚊とか叩くし。ただ,人間の都合で在り方が変わってしまった生き物たち,人間がいなければ生きていけない子たち,人間の都合でそこにいてもらっている子たち,そういう子たちが皆最大限幸せに死んでいけたらいいと思う。うーん,なんか何を言っても浅くて陳腐だな。動物福祉と生命倫理を勉強しようか。

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