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キャラが無い「無キャ」という言葉について自称無キャである僕が話す

いつものようにYouTubeで時間を溶かしていた時のこと。関連動画に「陰キャの劣化版、無キャの生態」というタイトルの動画が出てきた。

リンク:「陰キャ」の劣化版、「無キャ」の生態

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興味本位で見た動画は想像以上に自分に刺さる内容だった。

無キャとは

無キャとは、なんjではおそらく調べた中では2019年10月ごろから生まれた言葉なのだと思われる。当初は

・陽キャにはノリ悪いと言われ、陰キャには壁を作られる
・服装に気を使ってるつもりだが安物を着てる
・陰キャを見下してる
・他人の趣味にケチをつける
・プライドが高い
・無趣味
・一応スポーツは見る(現地で観戦する程ではない)
・楽しみは5chとyoutube(加藤純一とか好き)
・女叩き大好き
・友達が少なく独りでの行動が多い
・無気力
・無個性

など特徴が挙げられていたが現在大衆に浸透するようになるにあたって「陽キャでも陰キャでもない」、簡潔に言うと無趣味な人間がそれに該当するように少しずつ汎用性が変わっていった。その他、自分は陰キャではないと心の中で陰キャを見下している、スマホ依存症、就活で詰むなどさまざまな特徴があるらしい。

自分はなぜ無キャなのか

全てが当てはまるわけでは無いものの、自分はおそらくこの「無キャ」にハマる人種にあたる。生まれてこの方何かに熱中したこともなくyoutubeやまとめサイト、Twitterでネタを漁っては時間を消費するだけに生活を送っている様なんて特に…自分で書いておいて悲しいなこれ

これは前から思っていたことで、自分から何か言葉が発される時、その言葉にオリジナリティを感じられない、何か薄っぺらく感じてしまう。発している瞬間に「あ、この意見、僕の意見じゃなくていつの日か誰かが言ってた意見で『お、いいなこれ』って思ったやつをそのまま自分の意見っぽく言ってるだけだな」とわかっておいて言ってる。人と話す内容だって自分のことよりも他人が今どう言うことをやっているみたいな話ばかりで自分にはコンテンツがないと感じていた。今まで言語化されていなかったモヤモヤが「無キャ」とかいう言葉のせいで言語化されてしまい、現実を突きつけられたようで非常にショックを受けた。

あとは自分が周りの人に恵まれており、多彩な知人たちと一緒にいることで相対的に劣等感を感じてしまうことも自分が「無キャ」だと思う一因かもしれない。誰も持ってない特技がある、運動、芸術、に長けている、何より熱中できることがあってみんなそれを語っているときの目がとてもキラキラしていてかっこいいし尊敬する。自分はそれを羨望の目で見つめて終わり、自分から何も行動は起こさないのにいつまでも彼らといることを誇りに思う一方で劣等感を感じずにはいられないのだ。ああ、ほんとどうしようもないなこいつって自分でも思う、うん。

「無キャ」について思うこと

それにしても無キャなんて言葉、よくわかんない。昔だってSNSやスマホこそなかったものの同じ様な人種はいたはずなのに。何気ない日常を過ごしたかっただけなのに勝手にキャラ付けされて我ら無キャどもは溜まったもんじゃない。

多様性やら個性やらSDGs(関係ない)なんて言葉が流行ってるからかそれらを持ち合わせてない人種を浮き彫りにするためにこんな言葉が生まれたのか、いずれにせよキャラのない人間をキャラ付けする、まったく生きづらい世の中だせまくるしい。

自分が無キャという言葉を知って、該当してる気がして軽く刺されて、そもそもキャラないやつのことなんでキャラ付けするのか自分なりに考えてみて自己消化できるまでの経緯を相変わらず拙い文章でつらつらと書いてみた。

ゼロからのオリジナリティは存在しない、真のオリジナリティは個性や多様性を重視された教育を受けて無理矢理探すものではないし自然と備わった性質を指してるしクリエイティブと言われてるのは誰かしらからインスピレーションを受けてそれを自然に備わった自分の個性を合わせて精錬させている人を指すのかもしれない。




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