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お世話になった人①

私は、学業と進路計画の記事でも書いたが、親の価値観をとても強く受けてギリギリまで、大学に行かせようとしていたが、荒んだ家庭環境の中、そういう気持ちにはなれず、専門学校という選択肢を選んだ。

学業もそうだが、性格面でも、親の否定的な圧力が強く、元々場面緘黙であったという事もあり、引っ込み思案で、自己主張をするという事が苦手で、そんな自分にコンプレックスを抱いていた。

幼少期から音楽が好きで、高校生活が大学受験の準備へとシフトしてくると、ピアノも習っていたが、親の意向により、辞めさせられたのだった。

父「おまえはどうせピアニストにはなれないんだろ?」
母「大学受験なんだからピアノなんか辞めちまえ!」

みたいな事を言われたと思う。学校の成績はガタ落ちだったが、16歳位から、記譜法、音楽理論などの勉強は進めていた。仕事としては、音楽関係にいきたいと思う気持ちはかなり早い時期からあったが、両親には言えずにいた。専門学校は音響関連の技士コースに行く事になり、初めて就職した会社は、ホテルの音響照明映像を取り扱う部門になった。とは言っても、ホテルの社員ではなく、下請けの下請けのような感じで、ホテル内に入っている音響制作部を担当する会社へ出向する常駐社員であった。

前置きが、かなり長くなってしまったが、そこの部門の最高責任者であった主任について、書いていきたい。

主任は私が入社した当時40歳で、話しやすい感じの人だった。そこの部署では、32歳の副主任がいたが、頭の回転が速く、主任は副主任によく怒鳴られていた印象がある。主任は、人当たりがいい感じで、誰に対しても下手に出る傾向のある人で、責任感が強く、私など新入社員のカバーやフォローなど、いろいろとお世話になった。

30近くあるホテル内の宴会場へ、必要な機材を限られた中で、どういう風に移動させて、効率よく準備するか。本当に頭の回転力が必要な仕事だった。ホテルは新館だけで40階建て、業務用エレベーターは、全部で5基あったが、厨房、客室、施設その他いろいろな部署が使っているので、最小限の機材の移動方法を選ばなければ、二度手間になったり、エレベーターによっては天井の高さの関係で乗せられない機材もあったりした。

私や主任は、どちらかというと頭の回転が遅い方で、日々の使用機材などを記したノートを見ても、考えている時間がとても長くなってしまい、度々先輩の判断に委ねる事が多かった。私など、若い社員は、二度手間などがあって時間がかかっても、あまり何も言われる事は少なかったのだが、主任が判断を誤ると副主任からの言われようは結構凄まじいものがあったのだった。

入社した当時の頃は、下請けであっても、そこで働いている人は、そのホテルの名札をつけるので、お客様から見ればホテルマンという事になるので、まずは、総支配人などの顔から覚えていかないといけなくなるのだが、結果として、私はホテルの上層部の人の顔と名前を覚える事はできなかった。

主任がひとりずつ新入社員を連れてゲストリレーションなどをまわり、たくさんの人が働いているオフィスで、結構遠くから、あそこにいるのが、総支配人の〇〇さんで、その隣の隣りが副総支配人の〇〇さん…という風に説明してくれたのだが、私は完璧にあそこの範囲が広すぎて分からずにいたのだった。

総支配人と副総支配人は覚えられなかったが、仕事上でよく顔を合わせる宴会支配人と、部署が同じ階だったホテル内の機械類を担当する部署の副支配人はすぐに覚えられた。

主任は、副主任には頭が上がらない感じだったが、副主任がいない時は、私たちによく下ネタを振ってきて場を和ませるのだった。また、副主任と私は、この後、2人だけで飲みに行ったりする仲になるのだが、その話はまたの機会としたい。

私も物覚えがよくなかったので、副主任にはボロクソに言われる事も多く、宴会場内の音響ブースでお説教を喰らい、1度本番中に外されて、控え室に戻ると、主任がひとりでいて、悔しさから号泣してしまった事があり、その時は、優しい言葉がけをして頂いたのをよく覚えている。

宴会場では、会社のパーティや、会議などが日常的に行われ、それで使用するマイクや、スクリーン、プロジェクターなどを設営〜撤去する業務を主に行い、土日は、15の各大宴会場にて、昼と夕方に婚礼が行われるのだが、新入社員が一番最初に覚えるべきは、この婚礼2回を1人でこなす事だった。

婚礼に関わる部署は、私たちの音響制作部、宴会、施設、司会、楽器(披露宴によってピアノ、シンセなどいろいろあり、マイク、ラインのセッティング方法が異なっていた)担当、ビデオ撮影担当、花屋、介添人が関わり、披露宴の前にこの部署の担当者で進行の打ち合わせをする事になっていた。宴会担当は、料理関係のサービスそのものに私たちの部署は直接の関わりはないが、料理の進行を取り仕切る責任者(当時は黒服と呼ばれていた)と、それを補佐する担当の人(このホテルではシルバーと呼ばれていた)、この2人は少なくとも社員であった。

大まかな進行表がそれぞれ配られ、大体は決まっているが、全体的な進行は黒服が受け持ち、それに伴った動作(マイクスタンドの上げ下げ、入退場に伴う扉の開閉など)をシルバーが行っていた。音楽のタイミングや照明の切り替えは大体はパターンが決まっていて、照明に関してはボタンひとつで切り替わるようになっていて、音響制作部は、スタート前までに、マイク回線チェック、照明の当たりと球切れがないか、楽器担当がいる場合は、打ち合わせ、スライド、プロジェクターがある場合は、それの動作確認、時間があれば、スピーカーチェックなどを行う。

本番中は、基本的にはひとりで行うのだが、音楽を流す、各タイミングで照明を切り替える、各挨拶シーンでのマイクのオンオフ、2つあるピンスポット(新郎新婦が動く時や余興で使う)の操作、プロジェクター、スライドがあれば、その準備、操作、撤去などを行う。ビデオ担当、宴会、楽器の人たちは慣れてくると顔馴染みになってきて、人によっては世間話などもする仲になっていき、料理の余りなどをブースに差し入れてくれたり、ジュースを持ってきてくれたりする人もいた。ひとり立ちをして、最初の頃は緊張感があるが、慣れというのは怖いもので、それぞれのチェックを怠ったり、横着したりするようになってくるのだった。

婚礼ではマイクを合計5本+ワイヤレス1本を使うのだが、「つながっていれば大丈夫」と思ってしまうと、トラブルが起きやすい。また、年末になると仮設セッティングも行うので、新人はそれに向けて、通常、婚礼は各会場に備え付けの機器を使って行うのだが、仮設用の機器を持って行って、トラブルになるという事もあり、私もミスをしてしまうのだった。音響ブース内には内線電話が備え付けられており、トラブルがあった際は控え室にいる主任か副主任に必ず報告する事になっていた。

チェックを怠らなくても事故は起きてしまうもので、ある日、楽器がシンセで、チェックの時は大丈夫だったのだが、本番中にライン接続の不具合で、音が途切れ途切れになってしまった時は、主任がすぐ駆けつけてくれて、シンセはマイクではなくラインで繋ぐのだが、シンセのモニタースピーカーにマイクを立てて、音響ブースまで引いてくれたという事もあった。

2回ある披露宴のうち、1回めが長引くと1回めの最後のお客様が出てから、次のスタートまで、片付けと準備で戦場のようになるが、2回めは定刻に平然と始められるのは、プロの技だと思ったのだった。

音響制作会社の主任の事を書こうと思ったら、状況説明などの事で長くなってしまい、申し訳ありません。

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