価値観の変遷
私は、現在、生活保護下におかれている。
私の主観が入ってしまうかもしれないが、甘んじて受けているというか、そうせざるを得ない状況にある。
しかし、どうしたらこれを抜け出せるか、いつも考えている。だが、会社で働くという事が嫌になってしまった以上、フリーランス一択という環境下にある。
なぜ、会社勤めが嫌になってしまったのかというと、「無視を正当化する」ような発言があったり、最も近い過去の会社では、私は障害者雇用だった訳だが、3つの足枷を私は引きずっていた。
ひとつは、障害者という足枷、2つ目は、時間労働者という足枷、3つ目は清掃という足枷である。
集団の中では、なぜかどうしても優劣をつけたがる人間がいる。健常者と障害者というところで、どうしても差別心が生み出されてしまうのが現状である。たしかに、そういうことを気にしない人もいるのは事実だが、それは末端で働く人たちの中に多くいるが、会社の上層部へいけばいくほど、その偏見は強くなる傾向にあると感じている。
2つ目は、これも私が他の記事で何度も書いているのだが、社員とアルバイトという点で差別心が起こってくる。責任があるかないかなどという点で、見下されてしまうというところである。時間労働を好きでやっている人もいれば、事情があって時間労働しかできない人など様々であると私は認識している。
3つ目は、これも偏見でしかないのだが、清掃というのは立派な仕事のひとつであるというのは私も認めたい。だが、どうしてもこうも清掃業は世の中の底辺などと言われるのか、私には意味不明である。
また、話は変わるが、私が社会に出た時から感じていたひとつの違和感について、ご紹介したい。
よく「仕事だからやる」と言っている人がいる。
私はこのような言い方をされると、一抹の不安を抱く。
このように言っているということは、この言葉の裏には「やりたくないけど、やっている」という思いが見え隠れするからである。
また「仕事じゃなかったら、やらない」とも取れる。こう考えるとその人の人格にかなりの不信感を抱いてしまうのは私だけだろうか。
仕事とは何なのか。
仕事とは、人によって様々な答えが返ってくることと思うが、そういう風に言う人は、仕事は何だと思っているのだろう。
こういう事を言う人程、私は裏表のある人なのだと認識してしまう。例えば、介護の仕事で、高齢者に優しく接する事を仕事だと思っている人は、プライベートでは、見向きもしないような人なのかと思ったりしてしまう。
また、私の身に起きた経験をお話すると、私が障害者雇用として働いていた時、直属の上司は、とても良いと思えるような対応をしてくれるのだった。その中で、彼もまた「仕事だからやるんだ」と言っていたのが、とても引っかかった。
もし、それが本当の意味での好意ではなかったのなら、ただいい人そうに振る舞うことで、自分の評価を上げ、出世の道を切り開くための行動なのだとしたら、かなりタチが悪いと考える。
また、私がいた会社は、末端労働者に「報告連絡相談をしましょう」というセミナーを行っていたのだが、実際にそれをしたら、放置されるという事があった。
元上司は、私に言った。「コミュニケーションは気が合う人とだけするものだ」私は耳を疑った。それが「無視を正当化する発言」だと感じたからだった。
今はコロナ禍にあり、多くの人が自分のことに精一杯になっていることと思う。しかし、もし仮にコロナが収まっても、この一旦根付いてしまった自己中心的な考えは、変わらないものと考える。
コロナ禍にあって、かなり殺伐としてきた感があるが、これから、もっともっと殺伐として、生きにくい時代になるのかと思うと、何とも言えない心境になるのだった。
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