あじフライ 2019.11.18

晩ご飯は菱田屋のあじフライ。

読書会で『接触造形論』を読み、3人しかいなかったのでそのまま夕飯を食べに行った。
年末の近いこの時期、親戚に会わねばならない機会が多い。そのような場で「今何やってんのー?」などと聞かれたらどう答えたら良いのか悩んでしまう、という話題。だいたい「ん〜、まあ美術史みたいな勉強してるよ〜」とごまかす。
「なにになるの?」がとりわけ難しい質問。友人のひとりは、耳の遠い祖母には耳元で「てつがくしゃになるっ!」と言いきるしかないらしい。それを耳にした他の親戚内で物議を醸すことも。

接触造形論は私が選んだ本だったが、ウケは芳しくなく。華厳の思想を用いて近現代美術を越境的に切っていく稲賀繁美氏の手つき、爽やかではあるが論の構成にどうしても無理があり、結局は「何の意味があるの」から逃れることできず。
実体じゃなくて関係である、その程度のことならなぜ華厳を持ち出すのかという謎、作品論として制作過程に話が及ぶことのほとんどないことの問題、などなど。
そもそも批評とは何か、というところまで話題は飛んだ。

次回は華厳をもうすこしこちらで勉強しようということに。そのあとは、ソーカル『知の欺瞞』を読むかという変わった提案から、結局『アナロジーの罠』に落ち着いた。落ち込みそう。
他に分析哲学のおもしろさ(のわからなさ)の話など。

あじフライは、とにかく大きくて肉厚で、タルタルソースもたっぷり。
箸で苦労して小さく切り取り、ソースをのせ、口に運ぶとものすごく熱い。思わず目を閉じて静止しさいしょの一撃が過ぎ去るのを待つ。そうして霧が晴れたように戻ってくる舌先の感触を頼りにひと噛み、パリパリのころも、あじの柔らかさ、ちょうど良い油と爽やかなソース。
やわめのご飯と味噌汁も含めて食べきるのはもはや辛さを伴う量だが、腹に苦しさを感じながらまだ箸が伸びてしまうことの幸せ。辛さありきのうまさがある。

家に帰ってきて、胃の重さが心地よい。

すこし暖かい日で、何でもない格好。
RAGEBLUE 紫コーチジャケット
H&Mこげ茶ブロックチェックネルシャツ
Levi’s 510 黒
UNIQLO ライトグレー柄ソックス
New Balance classic574 グレー

お金も欲しいですがコメントも欲しいです。