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【DE-S!GN】市川雛菜 感想【シャニマス】

雛菜wing GRAD LPとHAPPY-!NG のネタバレと言及があります。

これまでの雛菜の物語の全体を俯瞰すると、1枚目のPSSRカードであるHAPPY-!NGから提示された「雛菜は進路希望調査表に何を書けばいいのか 何を書けるのか」=「私(雛菜)は海(世界)に出て何者になるのか」という問いがその後も雛菜のメインストーリーラインのセントラルクエスチョンであり続けていて、ではそもそもそれがどうしてセントラルクエスチョンたり得たか、それは一体どういうものだったのか、つまりは「どうして雛菜は進路希望調査を書けなかったのか」という話からさせてほしいんだけど、

アイドルになる前の雛菜には元々、「大人と大人のつくる世界に対する失望と諦観」「自分は大人から理解して貰えないんだという諦め」つまりは「自分が自分のままで居続けることはいつか社会に出れば否定される」「自分が自分らしく在り続けることはいつか大人の支配する世界から否定される時が来る」という前提認識が初期スタンスとしてあり、それは則ち、雛菜の確固たる独自の哲学を元にした自分のこう在りたいという拘りは、社会に出たとき赦されず画一化の圧力に遭うということ、雛菜が雛菜らしくあることと社会に上手く適応することとの間には障壁があるということ、そういったことを雛菜は最初からちゃんと分かっていて、いつか幼馴染の優しい陽だまりの箱庭から外に出た世界で、自分は何者になるのか、何者になれるのかというのは雛菜がずっと持っていた問題であり、そして、雛菜にとってのアイドルとはそれに対する天から降って湧いた「冴えた正解」だった。きっかけこそは透だったけど、将来を考える上での雛菜にはアイドルに対してそういう心情があったというふうに自分は解釈しています。

プロデューサーも「雛菜はずっと考えてるか 最初から」って言ってるように、最初からずっとずっと雛菜は自分の将来について真剣に真面目に本気で向き合って考え続けていたし、そして、それに対してどういう答えを出したかっていうのはGRADやLPで見てきた通りだけど、
その裏にあったもの、その答えを導き出すことを支えたものは「自分を理解してくれる大人がいる」「本気で自分を理解しようとして全力で自分と向き合ってくれてる大人がいる」「自分が自分らしく在りたいという願いを全身全霊で尊重してくれて常に自分の味方であろうとしてくれる大人がいる」ということを雛菜の側でずっと保証し続けた存在があったことに他ならず、だからこそ雛菜は、自分は自分でいられるんだ、この世界で自分は自分でいていいんだ、という答えを出すことができたし、その答えを既に持っていたから今回のコミュで進学の決心をすることができた、つまりは、「書けなかった進路希望調査」がここにおいて完全に決着をしたんだと思います。
セントラルクエスチョンへの精神的·本質的解決はGRADとLPで既になされていたわけだけど、今回やったのはそれの残されていた現実的·具体的な部分を、有耶無耶にせずちゃんと形を定めた、抜けた部分の穴埋めをきっちりやった、という雛菜らしい実際的で地に足の付いた着地点だったと思います。

そしてそれに対するプロデューサーの返事が一言だったのもすごく熱かった!
だってずっと側で見てきたんだもの。経緯も成り行きもその過程の心の内も、ずっと本気で向き合って、ずっと一番側で見守ってきた。だから今更「どうしてだ?」なんて聞くようなこともない。

「雛菜は雛菜のことしか分からない」(=雛菜のことは雛菜にしか分からない)という強い信条を掲げながらも、雛菜が自分を理解して貰えたと感じた時にぱあっと花が咲いたかのようにあんなにも嬉しそうにするのは何故か、
気高く崇高な認識論的個人主義の裏には、実は、理解されたいという密やかな願い─それでも自分を理解して欲しいというイノセントな願望が秘められているんだと思います。
「プロデューサーって雛菜なのかも」
という言葉は、雛菜にとって最大級·最大格の信頼と親愛を表す表現なんだと思います。

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