はじめまして、温子(あつこ)です
noteを書きはじめて丸2年、noteで働きはじめて約半年。今更ながら、自己紹介noteを書いていないことに気づき、せっせと書いてみました。
はじめましての方も、お久しぶりな方も、改めてよろしくお願いします!
まじめな経歴
これまでの生い立ち
1993年2月12日、神奈川県生まれ。三人兄弟の末っ子。姉のマネをしてなんとなく習いはじめたピアノにどっぷりつかり、小1から高3までつづけました。
ピアノを習いながら、中学時代はこれまた姉兄のマネをしてバスケ部へ。当時から背が低かったので、ポジションはずっとガードでした。(漫画は『スラムダンク』より『あひるの空』派。)
高校時代は、「強い部活に入りたい」という謎の理由でダンス部に入部。毎年全国大会で3位以内入賞しているという噂は聞いていたものの、練習は想像以上にキツかった。でも、チーム一丸となって何かをつくりあげることの楽しさを教えてくれた部活でした。
2011年、青山学院大学に入学。(これまた姉のマネをして)小4〜中2まで英会話教室に通っていたこともあり、大1の夏はアメリカに短期留学へ。それがきっかけとなって、2年目に英米文学科に転部しました。
なんて書くと勉強熱心な大学生のようですが、一番記憶に残っているのは3年間つづけたブライダルのアルバイトです。
配膳スタッフとして披露宴でお食事やお飲み物をご提供することにはじまり、最終的には宴中にスタッフの動きを見て指示を出したり、後輩の育成・指導に当たったりと、ホールマネージャーのような役割を任せてもらっていました。
そのときにとある後輩が、任せる仕事と教え方を変えたら見違えるほどの仕事ぶりをするようになったことが自分にとっての転機に。「仕事ができる人・できない人がいるわけではなくて、その人の得意なことを伸ばすことが大事なのかも」と思うようになりました。
そうして人と組織に興味を持って入社したのが、株式会社リクルートキャリアです。
はじめの2年間は人材紹介の営業(RA)。当時の想いは上のnoteに綴っていますが、入社前から「どんな人・組織にも磨けば光るものがあるはず!」と思い込んでいた私は、長年採用に苦戦しつづけている企業を好んで担当させてもらっていました。
3年目からは企画部門に異動し、営業企画・サービス企画を担当。それと同時に、社外で勝手にイベントチームをつくって毎月イベントを開催していました。(記念すべき一本目のnoteは、このイベントについて書いていた。)
イベントといっても、大勢か集まるパーティーのようなものではなく、十数名で開催する小規模なもの。コンセプトは「想いある個人の実験の場」。知られていないけど、素敵な想いのある人、魅力あるサービスが知られるようなきっかけの場をつくりたいという想いで実施していました。
約一年半毎月イベントを開催しつづけ、良いものの魅力がきちんと届く手伝いを本格的にしたいという想いが募った矢先、大きな転機を迎えます。
人生の転機
それは、父が他界したことでした。予期せぬタイミングで、身近な誰かの、そして自分の人生には終わりがくることを目の当たりにし、改めて残りの人生をどう生きるかを考えるきっかけになりました。
そうして辿り着いたのは、「この先ずっとするであろう仕事よりも、生きている家族との時間を今できるだけ優先したい」という結論。私は2018年の年末にリクルートを退職し、2019年は母がいる東京と祖父母がいる富山との二拠点生活をはじめました。
生活を成り立たせるために、同時にフリーランスとしての活動も開始。ブライダル、リクルート、イベントで感じていた自分のこだわり・信念のようなものを屋号に掲げて、企画・PRの仕事をしていました。
そんな生活を一年終えたタイミングで、翌年以降をどう過ごすかを考えました。家族と過ごせた時間はとても幸せ。だけど、それまでチームプレーが多かった私は、フリーランスとしての働き方にどこか「寂しさ」を感じていました。
自分が掲げた「埋もれた原石の発掘」というテーマは変えたくない。だけど一緒に働く仲間が欲しい。どうしようかと悩みました。
そして、いま
2020年3月から、noteで働きはじめました。
フリーランス時代にnoteを書きつづけたことで、私自身たくさんの出会いや、ときには仕事にも恵まれました。お世話になった大好きなサービスを、もっと世に広めたいと思い、会社に直接応募。運よく働かせてもらえることになりました。
最後に
せっせと書いた結果、思いのほか長くなってしまいました。最後まで読んでくださりありがとうございました!もしもう少し読んでもいいな、と思った方がいたらこちらもご覧ください。
これからよろしくお願いします!