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6月26日の祈祷会の内容です。

祈祷会      士師記5:1~18「デボラの歌、奮い立て」    2024.6.26

讃美歌380番「たてよいざたて」
1 立てよ いざ立て 主のつわもの 見ずや み旗のひるがえるを すべてのあだを ほろぼすまで
君はさきだち 行かせたまわん
2 立てよ きかずや 主のつのぶえ いざ たたかいの 門出いそがん 君がてにつくこの身なれば
雲なすあだも 何かおそれん
3 立てよ わが主の ちからにより 神のよろいを かたくまとい みたまのつるぎ うちかざして
おのが持場に いさみすすめ
4 立てよ いくさはやがておわり 永久の勝ちうた たかくうたい 尽きぬいのちの かむりをうけ
さかえの君と ともに治めん

 この讃美歌ですが、1858年、アメリカの聖公会牧師ティングの礼拝に5千人を超える男性が集まっていました。その説教の時に、「私は、キリストに定められたことを皆さんに語らねばなりません。神のメッセージを皆さんにお伝えするという私の仕事が満足にできないなら、私はこの右腕を切り落としてしまった方がましです」といったそうです。その次の週に、地方の作業小屋でトウモロコシの脱穀機が動く様子を見ていたティングの洋服の袖が歯車に巻き込まれてしまい、腕は引き裂かれ、出血多量で死んでしまったというのです。仲間に囲まれて、死の床で最後の言葉として「みな、立ち上がってイエスに仕えよう」といいました。友人だったジョージ・ダッフイールドはその言葉を聞いて、この讃美歌の歌を作ったというのです。(インターネットより参照)

 6月23日は、沖縄慰霊の日でした。今から79年前に、沖縄で組織だった戦闘が終った日といわれています。約20万人の人々が命を落としました。忘れてはいけない日です。23日の夜のNHKの番組で「戦い、そして、死んでいく~沖縄戦、発掘された米軍録音記録」というものを見ました。戦いのそのままの音声がありました。その中で、米兵が沖縄に上陸する前に、讃美歌を歌っていました。もちろん英語でしたが、讃美歌380番でした。この讃美歌は、戦う前に米兵の気持ちを奮い立たせたのでしょう。

 今日の聖書の箇所はデボラの歌の前半の部分です。前半は戦うまでのことを歌っています。イスラエルはカナン軍と戦うことになりました。士師エフドが亡くなってから、イスラエルの人々は再び、神の目に悪とすることを行ったのです。そのために神は、イスラエルに敵としてカナン人を送り苦しめます。その苦しみが20年続きました。イスラエルの人々は神に助けを求めて叫びます。人々の叫びを聞いた神は、士師として女預言者デボラを送ります。デボラはバラクを呼んで、カナン人と戦うことを促します。バラクはゼブルン人とナフタリ人1万人によって、カナン軍と戦うことになります。カナン軍の将軍はシセラといいます。キション川で戦い、イスラエルは勝利します。カナン軍は全滅します。1人シセラは逃げて、カイン人へベルの妻ヤエルの天幕に行きます。そして、ヤエルによってシセラは暗殺されてしまいます。このようにしてイスラエルの人々はカナン軍の脅威をなくすことができました。そのことが士師記4章に書かれてあります。そして、士師記5章では、イスラエルの人々は戦いに勝利したことで、士師デボラは歌を歌っているのです。戦いの勝利の歌です。
士師記5:6~7
アナトの子シャムガルの時代、ヤエルの時代に、隊商は絶え、旅する者は脇道を行き、村々は絶えた。イスラエルにこれらは絶えた。

 イスラエルの人々のところに、カナン軍が襲って来て、苦しむ様子が描かれています。隊商は絶えるは、貿易もすることができなくなってしまったことを表現しています。旅をする者は、本道を行くことができず、脇道を行かねばなりませんでした。イスラエルの人々の苦しみがあります。

士師記5:12~13
奮い立て、奮い立て、デボラよ。奮い立て、奮い立て、ほめ歌をうたえ。立ち上がれ、バラクよ、敵をとりこにせよ、アビノアムの子よ。そのとき、残った者は堂々と下って行く。主の民は勇ましくわたしと共に下って行く。

 デボラはついに立ち上がっていきます。イスラエルの母として、ついに立ち上がっていくのです。デボラは、自分に対しても、バラクに対しても、イスラエル兵に対しても、奮い立て、奮い立てと鼓舞します。立ち上がっていく。イスラエルの人々はカナン軍に対して、堂々と勇ましく戦いに出て行くのです。

・士師記5:18
ゼブルンは死ぬことをいとわぬ民、ナフタリも野の高い所に陣取った。

 ゼブルン人、ナフタリ人約1万人の兵がカナン軍と戦うために、その勇気を描いています。戦うための備えには十分にできています。後は戦うのみです。そして、勝利するのみです。この士師記5章のデボラの歌は、イスラエルの人々が敵と戦う時に、よく歌われたのでしょうか。歌うことによって、戦う勇気と神が共にいてくださって、共に戦ってくださり、必ず勝利することを確信することができたのでしょうか。そのように想像することができます。また、最初の讃美歌380番ですが、沖縄で戦った米兵にとって、戦う勇気を持つことができたのでしょうか。きっと、戦場で歌われたのかもしれません。私たちは、改めて平和の大切さを思います。そのような歌を歌う必要がない世界が来ることを願います。

祈り 神よ、聖書の学びと祈る時を与えてくださり、ありがとうございました。士師記5章のデボラの歌をみてきました。戦うための勇気を持つことができたものだと思いました。歌が、戦争の時に、敵と戦うために戦う思いを強くするために用いられたのだと思います。このような歌が必要なくなり、平和で幸福な日々が続きますようにと心から祈ります。戦争が続いているところがあります。一日も早く戦争が終り、平和が来ますようにと願います。この願いを、イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。

皆様の祈り「                                」アーメン。

共に祈ってくださり、ありがとうございます。(横山厚志)

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