偶像崇拝=悪魔崇拝とか言う暴論
よく「これは隠れた悪魔崇拝だ」と言う論調で他宗教を批判する人間の論調として「偶像崇拝を推奨するから」と言うものがある。
キリスト教では、神を形にしてはいけない。何かを形にしてそれを信仰する行為自体、禁忌だという考え方だからだ。
だが、宗教云々ではなく、人間は古代から目に見えないもの、信じているものを可視化してきた生き物だ。
石碑に絵と言う形で歴史を残し、アイデアをイラストする。
そういう人間の根本的な欲求自体の否定そのものが、個人的には懐疑的。
思うに、当時の預言者にとっては「ほかのものに信仰が集まるのが政治的に不利だった」と言う理由でしかないと思っている。
もちろん隠れ悪魔崇拝もあるだろうけどね。
キリスト教の歴史は、キリスト教だけを追っていては見つけられない
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