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服にまつわる古今東西のあれこれ

正装は和洋問わず簡素化の一途を辿っている。鎌倉時代の正装は直垂だったが、江戸時代は裃(かみしも)に変わった。昔は略装だったタキシードが燕尾服に取って代わり現代の正装となった。

何が正装なのかビジネスマナーなのかは時代によって変わる。その基準はルーツに左右される。ジーンズとTシャツは1950年代にジェームス・ディーンによって市民権を得たが、元は下着と作業着。だから正装足り得ないと、少し前のクラブのドレスコードでは不可だった

最近、ビジネスシーンにおいて女性の制服が廃止され、何を着ればよいのか困っている女性が多く見受けられる。固いことを言えばシャツとジャケットを着ろと言いたいが、弱体化したオジサン達は黙って何も言わない。

でもさすがにTシャツやジーンズは正装と言い難いって感覚は時代遅れなのだろうか。

革服=アウトローってイメージがある。卵が先が鶏が先かではないが、この二つが結び付いた根拠が分からない。ルーツを探ると、洋の東西を問わず皮革を扱う人達は差別を受けていた。皮を剥ぎ取ったり加工時に発生する臭いもあって3K的職場として人々から忌避され続けた先祖の記憶が影響しているのだろうか。

ビジネスシーンでは肌を晒すことが嫌われている。人は服を身に付けることで動物と差別化し始めたが、布はとても高価な代物だった。だから文明が遅れている部族や貧困層は布で自分を全て覆うことが出来ずに肌を晒していた。逆に高貴な人々はこぞって高価な布を自分では動けないほど大量に身に纏って権威を誇示しようとした。

意識を外部拡張し視認させる「服を身に纏う」という行為は100年後もまだ存在し続けるのだろうか。

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