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戴冠 #パルプアドベントカレンダー2019

 寂れた町のはずれにある教会で、少女が祈りを捧げている。

 人目を憚るようにして建てられた教会は、そのすべてが大理石で出来ていた。
 牧師も管理者も居ないのに、教会の床を被う石という石は完全に磨き上げられており、真冬だというのに真白な薄手の装束一枚しか纏っていない少女の脚は氷のように冷えた床に素肌のまま触れている。

 教会の扉は堅く閉ざされ、鉛で出来た錠前は二度と外れることが無いよう溶接されている。
 窓という窓も同じく隙間を塞がれ、ステンドグラスから注ぐ光だけが唯一の灯りであった。

 石造りの教会の祭壇の前で、少女が祈りの言葉を唱えている。

 教会の中には、参列者が腰掛ける椅子の代わりに無数の本が積まれている。
 床を埋め尽くさんが如く敷き詰められ、堆く積み上げられている。
 少女が祈る祭壇からは最早扉を見ることが出来ないほどに、高く高く。
 それは即ち、少女は教会から出るどころか扉に辿り着くことすら出来ないことを意味している。

 積み上げられた本は全て例外なく非常に分厚い辞書のようなもので、さらにぎっしりと細かな字で隙間なく綴られているのは凡そこの世界の何処の国でも用いられていない言語であった。
 本の表紙は革張りで、染みが無数にこびり付いたそれからは血生臭い臭いが漂ってくる。

 祭壇の前で膝を折る少女が唱え続けているのは、本に書かれている文字であった。

 一冊の本を読み終えた少女が本を閉じると、本は焼け爛れるように崩れて地面へと吸い込まれていった。
 そして代わりにもう一冊、何処からともなく目の前に本が重々しい音を立てて落ちてくる。
 表情ひとつ変えぬまま少女は本の表紙を開き、淡々と綴られた文字を読んでいく。
 その声に抑揚はない。まるで呪詛のように淡々と、淡々と。

 少女の眼前に広がる教会の祭壇には、赤黒い塊が転がっている。

 生臭い臭いはこれらからも強烈に発せられており、教会の中は最早、凡そ人間が暮らせる場所ではない。
 皮を剥がれた動物のようにも見えるそれらは、その状態で放置されてから長い時間が経っているようだ。
 生臭さは腐臭と混ざり合い酷く鼻をつくが、少女は既にそれを苦としない。

 少女の前に転がる塊は9つ、そして教会前方、祭壇の真上に掲げられた鉛の十字架に1つ。

 十字架に磔にされた塊だけは、その形から辛うじて人間であると判別がつく。
 無残にも手足の首から向こうは切り落とされており、腹部胸部は抉られて内臓の類は殆どが引き摺り出されていた。
 顔の皮は剥がされているようで、遺体の表情を窺うことは叶わない。

 紛うことなきそれらは贄であり、少女はそれらのためにただひたすらに本を読み続けている。

 敷かれた大理石の床、凍えてしまう程、肌を刺す冷気に身を晒されながらも、なぜか少女は白い装束のみでこの場に閉じ込められている。
 少女は十五ほどの齢でその体躯は骨が浮き出るほどに痩せ細っており、血色も悪く白銀の髪も鈍く貧相で、だが寒さに身を震わせることなく言葉を口にするその姿は、まるで何かの呪術にかけられ操られているかのようにも見える。
 また一冊、本が崩れ沈み、落ちてくる。

 堆く積まれていた本は少女に読み終えられるたび少しずつその嵩を減らしていった。
 やがて最期の一冊が少女の目の前に落とされると、障害物が無く伽藍洞になった教会の中は少女の声で満たされ、反響に反響を重ねた声はコーラスのように教会の中に響き渡る。
 そして、その一冊を読み終え裏表紙を閉じた時。
 少女ははじめて顔を上げ、己の眼で眼前の贄を見据え、晴れ渡った空のような清々しい笑顔で高々と言い放った。

「待たせてごめんね、『いってらっしゃい』」

***

 教会の祭壇の前に、ひとりの女が立っている。
 女は真白な装束を身に纏っている。
 女の後ろには見事な角を携えた9頭の雄渾な馴鹿が整列しており、力強く鼻を鳴らしている。
 女は伽藍洞になった教会を、閉ざされた扉に向かって一歩ずつ歩いていく。
 そして扉にその手が触れると、扉の外に取り付けられた鉛の錠前が重々しい音を立てて地に沈んだ。

 開かれた教会に、何にも遮られない陽の光が射し込まれる。
 悍ましい血の色で汚れた石造りの床が、まるで魔法のように浄化されていく。
 女が教会の外に足を踏み出し澄んだ冬の空気を胸に大きくひとつ吸いこむと、今の今まで此処で行われてきた何もかもが無かったかのように、【あの少女の遺体でさえも】、光に溶けて消え去っていった。
 同時に、女の纏っていた白い装束は、胸元からじわじわと不気味な赤に染められていく。
 まるであの場に撒き散らされていた不浄という不浄を全て飲み込んでしまったかのようであった。

 大理石造りの教会はその全ての扉を開け放たれて、神聖な表情を見せている。

 赤い装束の女が、馴鹿たちとともに空へと昇っていく。


 真白な装束に包まれた少女が、町と教会を繋げる小径の向こうからその光景を見つめていた。
 少女にはその不思議な光景が、祖父に聞かされていた御伽噺のようだと胸躍らせた。
 目の前に聳え立つのは大理石で造られた立派な教会。
 村の言い伝えに倣い、少女はその教会で祈りを捧げる役目を担っていた。

【限り月、齢十五の穢れ身を孕んだ少女に、不浄を祓い幸福を蒔く祈りの言葉を携えたし】

 教会は少女を温かく出迎えた。
 射し込む光は少女の髪を優しく撫でる様で、目の前に掲げられた十字架は少女の心を穏やかにした。
 少女は祭壇の前に跪き、幸せに満ちた表情でこう口にする、『嗚呼、神よ』―――

 重々しい音を立てて閉ざされる教会の扉。錠前が落とされる振動。
 眼を丸くして後ろを振り返る少女の眼前には、逃げ場無く無限に積み上げられた本の山。

『…これ…なんの ことば…? わたし、どうしてよめるの…?』
『ひとの…なまえ? じゅうしょ…これ…ぜんぶ ぜんぶなの…?』

 困惑した少女が不意に鼻をついた異臭に顔を上げると、先ほどまで光を反射して神々しい輝きを放っていた十字架に、白銀の髪の少女の遺体が吊り下げられていた。

 伝えよ その福音(おとずれ)を
 広めよ 聖き御業を
 たたえよ 声の限り




 寂れた町のはずれにある教会で、少女が祈りを捧げている。

>了


***

引用:讃美歌第二編219番『さやかに星はきらめき』

風景が降ってきたので、書き留めてみました。
↓こちらの企画に参加させていただきます。

2作目ということで、飛び入り参加扱いですね。
素敵な企画をありがとうございました。

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