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恐怖バスジャック老害

先日、寒さが増す中通院時にバスを利用しました。普段、体調が良い時には体力低下予防のためにゆっくり1時間前後かけて徒歩で通うのですが、寒さと体調不良のためバスを利用しました。

通院時に使うバスは、乗車率が少なく決まった路線なので、乗車する人の7割位が大概決まった人が多い。通院や爺様婆様のお散歩などが多いだろう。そして雨天になると学生や買い物をする主婦やOLさんも乗車するという感じだろう。

いつもの決まった時間に乗車する。奥の席で座ってノンビリしていると、80歳位で身長165cm位体重65kg前後の爺様が、発車したバスの運転手の真横に立って仕切りにしゃべりかけていた

バス停などの乗車時に「どこどこに行けますか?」という質問は、日常生活では良くある光景なので、何も感じない。
何も感じないというのは、正直ではないかもしれない。現代社会では、スマホは外出時にスマホは必須アイテムだろうと感じている。

否、スマホを所持していなければこれ位の地図をセカンドバックにいれて置く事位して欲しい。

どうも団塊の世代に多いのが、困ったら人に聞けばいいという独特の文化が存在する。自分で情報を事前に用意するとか、何か予期せぬ事を想定して準備するとかを全て人頼りにする。別にスマホを必ず携帯してくれと言っているのではなく、スマホを持たないのであればそれに代わる代替手段を自分で用意しなければならないのが普通の人の考え。

また、私は不安になった時に人に聞いて安心感を得ようとする人種はあまり好きではない。大概、このような人種は自分の期待していたイメージと異なる事象が発生したときに他責にする癖がある。

だから、道や経路を尋ねられる際には、必ず「知りません」と応えている。
これは、
道や経路を知っているかどうかではなく、貴方の行く道を不確定情報に成りえるかも知れない自身の情報で判断ミスをさせることも有りえるので、自分で調べましょう。という事である。

話を戻そう。

運転手の真横に立ち、バス停から発車しているにも関わらず、10分近く運転手に経路を聞いている不審者爺様がいた。

置くの方に乗車していた自分は、空条仗助が髪を触られるとプッツンしてしまうように、プッツンするかの葛藤が始まった。

心の声「オイオイ。糞じじぃ。公共交通機関であるバスの運転手に声をかけるな。乗車客の全員の命に係わる事だろうが。てめぇ、バスは決まったバス停にしか止まらないし、バスが貴様の目的地の沿線かどうかしったこっちゃない。」

心の声「タクシー乗れよ。金無かったら健康のために歩けよ。」
心の声「目的地分からなかったら最終地点の駅に交番あるやろ。」

心の声「運転手さんも若くて、変な爺様にシャラップと言えてない。」
心の声「一番ガタイが良くて、気が強くて、経験豊富なの俺しかいないな」

心の声「じじぃでも刃物持って逆ギレされたら、バス全体が危ないか?」

心の声「言うべきか?黙るべきか?」

不審なバスジャックをしているような爺様の様子を注視しながら、5~10分程度、このような葛藤を続けていたらようやく席に着いた。

席についても勝手に下車しないバス停でボタンを押して、快適な公共交通機関の運行を邪魔をしている。

心の声「言うべきか?黙るべきか?席についているから一段落か?」

僅か、15分前後の間に挙動不審なバスジャックに近い老害の挙動に神経を張り巡らしていた。

私が、第3者に行動を制す時には、下手口調でができない。
「どうされましたか?( May I Help you?) 」

この言葉を発する時には、相手が良識ある社会人であるという認識ができて、当たり前の日本語が通じる知能を持ち合わせている場合には、丁寧な口調で相手に問うだろう。

ただし、今回のようなバスジャックに近い老害には、恐らく声を発していると

「オィ小僧。運転手にしゃべりかけていたら、あぶねーだろうが!!」
「黙って座って最後まで乗るか、今すぐ降りろ!! 糞ガキが」

と私人逮捕発動位の勢いで動いている可能性が高い。

運が良かったのが、私の体調が悪くてそのような勢いが無かった事と運転手さんが速度制限50~60kmの道を減速して15~20km位までスピードを落として安全を確保しようとする意志が感じられたので、行動に移さなかった。

恐らく、スマホでショートムービーに撮影して「実録バスジャック老害」というタイトルでYoutubeに流したら数百万再生はいって、社会的ニュースになる位のような状況だった。

そして、年功序列や縦社会(偉いものには諂い、年下や序列の低い者には強い態度を取る)を半世紀以上経験してきた老害が日本中そこら中に生まれる理由は、年功序列や縦社会が正しく俺が偉いといつまでも思っている事に起因する。

だからいつまで経ても団塊の世代とその下の世代とのコミュニケーションギャップが生じ続けるのだろうと思う。

病院の生態系でも同じで、団塊の世代は「自分や自分の家族の欲を優先」する癖が強いです。人の事を自然と考えられるようになるのって、結構高度な考えで自分にゆとりがあったり、チームで仕事をしたり、何か成し遂げた経験が無いとできないんだよね。

読者の貴方も是非、このnoteに起きたようなシュチュエーションに遭遇したとしてどのような行動を取るか是非考えてみてください。

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