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染み着いた優しさ

春の風と心地よい天気が続き、GWは上着を着なくても良いと思われる程ここのところ天気が良かった。そんな週末の日曜日は小雨がパラパラと振りはじめ、気が付けば傘が無ければ濡れてしまう程の雨量に変わった。

私は、天気予報を確認せずに家を出た瞬間は雲行きが怪しいが傘の要らない天気だった。ゆっくり歩いて都心に向かうバス停に向かうとそのタイミングで雨がぱらつきだした。そして、バス停に着くと雨が衣類を薄っすらと湿りだす。

そんな中バス停にゆっくりと定年退職前後の初老のおじさんがゆっくりと近づいてきた。髪は白髪が多かったが整えられた髪型で、着ている衣服は、歳相応の落ち着いた紺色をベースに上手く纏められており、お洒落とは言い切れないが小奇麗さに好感を持てる御人だった。

その初老のおじさんが折り畳み傘を差した状態で、「傘一緒にどうですか?」と声を掛けてきた。
私がまるで友達の結婚式に行くようなジャケットとズボン、アイロン掛けされたシャツ、黒革の靴と整えていた事もあり何かを察したのだと思う。その御人の声掛けには心と言葉と顔が一致した笑顔と優しさが満ち溢れていた。

この素朴なおじさんが、社会の中で自発的な自然の優しさを積み重ねきた人物だと瞬間的に理解した。バスが来るまでは5分以内を切っていたので、私は巨体が割り込む事でおじさんが雨で濡れたり、数分間私に気を遣わせてしまうのが申し訳無いと思い、「お言葉とお気持ちは喜んで頂きます。バスも5分以内来ますので大丈夫です。有難うございます。」と返答した。

私は16歳からアルバイトを多くしており、同じ歳の成人男性より色々な職種を通じて延べ1万人以上の方々にお会いしている。学生時代のサービス産業のアルバイト経験から人を見る目は誤りが無いと思っている自分には、非常に衝撃的だった。

本日お会いした聖人君主は、1000人に1人出会えたら良い確率だった。それが地元の寂れたバス停の身近な場所で出会えるのだから久しぶりに脳に衝撃が走った。

本当の優しさは、表情・言葉・行動全てが他人に対する思いやりと優しさを常に持っている人が、当たり前の日常なのだと感じた。そのお会いしたおじさんのお陰で、冴えない雨天の天気の中でも1日中心は清々しい晴天を維持する事ができた。聖人君主の自然の優しさは、人の気持ちを幸せにする力があるのだと感じ、そんな偉大な方が身近な場所で出会えた奇跡を感じた1日だった。





























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